概要

緑さんは、同作者の『六花の勇者』の大ファンである。妹の勧めで、軽い気持ちでアニメを見て、びっくりするくらい感銘を受けて、ライトノベルを全巻購入して、その後4回くらい読み返している。そんな経験はこれまでにない。主人公のアドレットが好みすぎるんだよ。

そんな『六花の勇者』の最新刊が世に出てから6年余りが経過した。あんな名作がどうして続刊を出さないのが理解に苦しむ。

もう続刊を待ちきれなくて頭がおかしくなりそうだった緑さんは、たまらず山形さんの過去作に手を出した。

  • ルームメイト: むしろ、まだ読んでなかったんだ?
  • 緑さん: だって過去作にはアドレットが出てこないじゃん。

10巻あるのだが、一気にまとめ買いした。サマリと感想を書く。

 

サマリ

人が死ぬと “本” が世界のどこかに生まれるファンタジー世界観。 “本” というのは石版みたいなものだ。 “本” を触ると、その人の生涯の記憶を見ることができる。どんな世界観だよ。

その “本” を管理しているのがバントーラ図書館。そこに勤める “武装司書” は世界最強の武闘集団である。具体的には、世界でいちばん魔法能力が強い。そうそう、この世界、魔法もある。設定モリモリだ。

そんな武装司書は、数百年に渡り神溺教団という怪しい集団と戦っている。本シリーズは、武装司書と神溺教団の長い戦いと、その裏に隠された秘密を描いている。

あんましネタバレを書きたくないので、タイトルの副題についてだけ書いていこう。

■ BOOK1 戦う司書と恋する爆弾

恋する爆弾は、神溺教団の自爆テロ人員コリオくん。最初この子が主役なのかと思った。

■ BOOK2 戦う司書と雷の愚者

雷の愚者は、雷撃と超回復の魔法をもつエンリケくん。つよい。説明不要。

■ BOOK3 戦う司書と黒蟻の迷宮

黒蟻の迷宮は、バントーラ図書館の激つよ武装司書、モッカニアさんと、彼が住む図書館地下の迷宮。

■ BOOK4 戦う司書と神の石剣

神の石剣は、普通は自然に出土する “本” を、能動的に生み出す能力を持った、ラスコール。

■ BOOK5 戦う司書と追想の魔女

追想の魔女は、バントーラ図書館の秘密をその記憶に隠したオリビアさん。ハイパー美人。

■ BOOK6 戦う司書と荒縄の姫君

荒縄の姫君は、世界最高の人格者ノロティ。いや、本作に登場する善人は、この子だけの気もするが。

■ BOOK7 戦う司書と虚言者の宴

虚言者の宴は、BOOK6で、バントーラ図書館最大の危機を乗り越えた武装司書たちの宴会。そんトキ、バントーラ図書館の長ハミュッツと、オリビアさんは頭脳戦を繰り広げる。

■ BOOK8 戦う司書と終章の獣

終章の獣は、神がこの世界を “存続するべきでない” と判断したときに世界を滅ぼす魔物。そんな奴らが暴れだした。佳境だ。

■ BOOK9 戦う司書と絶望の魔王

絶望の魔王は、大昔の英雄であり、とあることで絶望しちゃって、現代では諸悪の根源扱いされているルルタくん。

■ BOOK10 戦う司書と世界の力

大団円。

 

感想

 

六花の勇者でどう修正されているか、という視点

このシリーズにある粗が、次作の六花の勇者ではどう修正されているか、という六花の勇者贔屓の楽しみ方が出来た。まず登場人物について。

  • 本作は登場人物が多い。使い捨ての登場人物もほぼ居なくて良い。ただまあ、人物が多ければ、重要性の高い人物も低い人物もおり、読了後、作品へのイメージが散漫になっている感じがした。
  • その点六花の勇者では、登場人物がグッと削られ、設定が集約されている感じがする。ひとりひとりの人物へのイメージがハッキリして、作品の印象がわかりやすくなっている。

魔法について。

  • さまざまな魔法がバンバン出てきて、 “なんでもありじゃん” 感 “ご都合主義” 感が六花に比べて強い。
  • その点六花の勇者では、魔法の理屈、敵方である凶魔の使う特殊能力の理屈がより明確であり、納得感がある。

主要登場人物の魅力について。

  • 主要な登場人物のハミュッツやマットアラストは、キャラはハッキリしているけれど、魅力としてはどうもな。ぼくにヒットするような感じではなかった。
  • その点六花の勇者ではもうな。
  • この差異については、持論があるぜ。ハミュッツは、めっちゃ強い主要キャラであり、いっぽう六花の勇者のアドレットは、めっちゃ弱い主要キャラなのだ。山形石雄さんはキャラの内面を描く能力が高いので、アドレットのようなキャラのほうが向いているのだ。ぼくはそう思う。

 

六花の勇者とどう似ているか、という視点

また、六花の勇者と似ている点もある。山形石雄さんの作風なのだろう。

  • 話の進むペースが似ている。 “……は、考え続ける” で章が変わる点とか。
  • 伏線の張り方が似ている。ぼくは “ご都合主義” に対して容認的な読者だ。ある程度、ガバガバな設定があっても “そういうものか” と読み飛ばすのだが、山形石雄さんはぼくが読み飛ばした設定について、次巻で “前巻のアレはこういう理屈だった” と伏線を回収してくる。しかも、 “あれはこういうことだったんだよ!” という感じじゃなくて、 “ああ、そういえばあれはこういうことだったよね” みたいな軽い感じで明かしてくるのだ。これが気持ち良いんだよ。確かにBOOK1でコリオたちが記憶を失っていたのは、不可思議ではあったよ。だけど読書体験にそう障るものでもなかった。だけどBOOK2で “アーガックスの水” のことが明かされる。六花の勇者もそんな感じなんだよな〜。
  • 強キャラの設定が似ている。六花の勇者の強キャラは、作中ではチャモだとされている。本作の強キャラはモッカニアさんだ。どちらもモンスターを使役する能力だ。似てる。そしてどちらも純粋な性格で、最終的には、あくどい性格のキャラクターに負ける (まあ負けるっていうか劣る) ことになる。六花の勇者では結局ハンスが一番強いし、本作ではハミュッツが一番強い。

 

後半の展開も似ているんじゃねーかな、という視点

あと本作は、未完の名作である六花の勇者の、今後の方向性を推測する材料を持っているのだ。本作、司書シリーズは、前半では、バントーラ図書館と神溺教団の小競り合いを描く。ぼくらはそれを読んで、ふたつの集団のバトルを描く話なんだな、とはじめは思う。

しかし、中盤から後半にかけて、ストーリーは、その戦いは何故起こっているのか、という歴史に及ぶ。そして、その歴史のさらに根幹、この世界がどうしてこういう世界なのか、という開闢の物語へとつながる。誰もそんなところまで考えなかったが、話がそんなところまで及んじゃった、という話なのだ。

六花の勇者も、そうなんじゃねーか? 六花の勇者もまた、数百年に及ぶ、人間と凶魔との戦いを描いている。誰も、その戦いに疑問を挟まない。 “凶魔は人間の敵であるから、凶魔を倒すぞ” というお話だ。これが、司書シリーズでいうところのバントーラ図書館と神溺教団の小競り合いにあたるんじゃねーかな。

そこから推測するに、六花の勇者は、中盤から後半にかけて、凶魔の親玉である魔神はなぜ居るのかという歴史を語る物語なんじゃねーかな。そして、その出自には世界の開闢の経緯が関わっており、アドレットたちはそれに触れていくんじゃないのかな。

……………………超面白そう。山形石雄さん、マジで続刊を頼みます後生ですから。