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緑さんの論理哲学のアウトライン。
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本文は筆者の思想体系を可視化する試みである。本文中重視されているのは思想体系内における論理的矛盾の排斥である。また本文が目指すところは、現実的に遭遇する哲学的諸問題の解決を手引する可視化されたプラグマティカルなシステムとする。
1. 哲学
哲学はこいねがうものをあきらかにする思考である。
ゆえにどんな問題でも、それが本人にとって重要ならば、それについての思考は哲学である。
1-1. 問題の解決
あらゆる哲学は問題の解決と幸せのために行われる。
ほとんどの現実的諸問題は選択と棄却によって解決さる。
選択は優先順位の確立によって行われる。
2. 論理
論理は哲学をする手段である。
論理は本人にとって筋の通った思考システムである。
ゆえに私にとって論理的でなくともかれにとって論理的である、ということはありうる。
論理は妥当性の発見である。
2-1. 理論
理論は可視化された論理である。
どんなに途方も無く現実味が無くとも論理的に正しければ理論として成り立つ。
あるいはある理論が誰々に全く理解されないならば、そこには前提が欠如している。
前提に関しては後述する。
3. ないことに理由はない
ないことに理由はない。
ゆえに以下のような質問は何らかの前提なしに意味を成さない。(質問がおかしいシリーズ)
なぜ生きるのか。なぜ人殺はいけないのか。なぜここに林檎がないのか。
多くの場合これらの質問は思い込みか決めつけによって生じる。
多くの場合これらの質問をする人は自分の好み、法を真理と取り違えている。
ないものをあると思い込む、自分の思い込みが皆にとって真実であると思い込むのはストーカーにありがちな心理であるためこの様な質問をする人は非常に危険である。
3-1. 問いが立つならば答えもある
あるいは答えの出ない問いはない。
「知らない」もまた答えである。
前述の質問がおかしいシリーズに答えは出ない。
なぜならば問いが正しく立っていないためである。
3-2. 遊び
知らないことについて思考することは遊びである。
3-3. 理由
理由は出来事の過程である。
過程は原因を含んでいる。
理由の理由、そのまた理由を突き詰めていった先は「知らない」である。
4. 好み
好みを論理的に肯定あるいは否定することはできない。
議論の場で誰々の論理が修正されたとき、それはその新たな論理が論理的にユニバーサルに正しいから認められたのではない。誰々にとって論理的に正しいと思われたためである。
お望みならば、好みは本人にとっての論理そのものであると捉えてもよい。
4-1. 善悪
善悪は好みのひとつである。
ゆえに「誰々にとって」という前提無しに語ることはできない。
4-2 悪いこと
前提なしにただ悪いことは存在しない。
多くの場合、物事は悪いのではなく醜いのである。
悪いというのは本質的悪を表し、醜いというのは主観的悪を表す。
5. 人はたくさんの要素あるいは側面からできている
オムレツ理論。
かれが作ったオムレツを食べたとき、私はかれのオムレツの味を理解したとはいえない。その日その瞬間のオムレツの味を理解しただけである。同じように、何を見聞きしようと人を理解することはできない。
味蕾が脳に届けた情報を理解しただけとかそういう話はここでは省く。
人はたくさんの要素からできている。
ゆえに「かれが好きだ」という言葉は非常に曖昧である。
同様に「かれが嫌いだ」という言葉も非常に曖昧である。
「かれのこの部分Aが嫌いだ」という言葉と「かれのこの部分Bが好きだ」という言葉は矛盾しないし、「かれのこの部分Aが嫌いだ」と「かれが嫌いだ」は関係がない。
5-1. 物事もたくさんの要素あるいは側面からできている
どれだけより多くの要素あるいは側面を見るよう努めているかを表す言葉が視野の広さである。
6. 論理的矛盾
論理的矛盾は妥当性を欠いた論理である。
誰々が「私はAをしている」と言いながらBをしている状態は矛盾ではない。
なぜならば発言と行動には論理的関係性がないためである。
論理的関係性は片方が変化した場合もう片方も変化しなければならない、というような関係性である。
7. 宗教
宗教はある思想体系を信望し、生活をそれに準じさせることである。
7-1. 思想
思想は宗教を形作るものである。
8. 感情
感情は感情である。
感情的という言葉は論理的という言葉とは関係ない。反意語でもない。
感情論は論理とは関係ない。あんまり考えてないという意味である。
9. 文学
文学はメタファーである。
ある種の真実は嘘でしか表せない。
9-1. ある種の知識は実体験なしには理解されない
思想は自体験なしに理解されることはない。
ゆえに本文もまた本文と同様あるいは類似の思想をすでに考えたことのある人にのみ理解されるはずである。
メタファーによって読者に追体験させる装置が文学である。
10. 理解
他者を理解することはできない。
なぜならば完璧な言語が存在しないためである。
理解していることは説明もできる。
理解と説明は表裏一体ではない。
10-1. 言語
完璧な言語なしに完璧な哲学は可能であるが、完璧な理解は不可能である。
なぜならば思考は言語によって行われるためである。
ゆえに完璧な問題作成も不可能である。
11. 自由
自由は世界の恒常的なありかたである。
ゆえに自由はすでに実現している。
行動を縛るものは不自由ではなくシステムである。
あるいは自由は行動をフィジカルでない部分で縛られていないことである。
12. 前提
我々が思考するとき、そこには前提がある。
ゆえに絶対の真というものは存在しない。
なぜならば思考的根底にある前提の正当性は説明できないためである。
論理もまた前提を必要とする。
あらゆる理論は前提を必要とする。
我々が最も使用する前提は「私にとって」や「おそらくだが」である。
前提を変えることで、あらゆる偽らしい理論も論理的に正しくなりうる。
たとえば「ジョン・レノンが女である」ことを前提にした場合、「ジョン・レノンは女性である」は正しい。
ゆえに議論は前提確認の連続である。
完璧でない言語というのは、前提が確立されていないのと同義である。
ゆえにあらゆる思考はそもそも正当でないし妥当でもない。
12-1. 真理
真理は前提を必要としない理論である。
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