物心のついたころからずっと腹に据えかねていることが緑さんにはある。俺がわりと付き合いをする連中は、とにかく約束を守らないのだ。ここでいう約束とは、待ち合わせに毎回遅れてきたり、「土日に送るよ」と言われたファイルがつぎの月曜になっても送られてこないとか、そういうたぐいのものだ。
待ち合わせに関して、ひとつ笑えるハナシがある。待ち合わせに毎回10分ほど遅れてくる奴に俺はこう言ったのだ。「明日の待ち合わせだが、あなたはきっと遅れてくるだろうから、俺は10分遅れて行く。あなたは時間通りに来い。そうすればぼくたちはぴったり同時に到着できるはずさ。」結局そいつは20分遅れで来やがった。律儀な奴だな~ハハハ。ふざけんな。
とくに「今夜アレを返しにいくよ」とか「明日コレを持っていくからね」とかそういうのを破られるとツライ。そういうときはメールだの電話だので「やっぱムリ」と連絡すべきだと思うが、俺が付き合う連中はそれをなぜかしない(肉親を除く。肉親はそういうところが、俺と似ている気がする)。おそらく『まあいっか』のラインが俺のそれよりも大分低いところにあるのだと思う。
ちなみにこのルーマニアにおいてもそれは同様である。俺が一番親しくしている奴が「今日19時に行くわ」と言ったらそれはおおよそ21時になる。
頼むから類は友を呼んでくれ。

さて、頼むから類は友を呼んでくれと言ったものの、実のところこれ(類は友を呼ぶ)はきちんと作用していると思う。そいつらが俺と似ているかと言えばやっぱり似ているのだ。どこがかというと、少々社会的、世間的プリンシプルを無視しがちであるところである。俺もそうだ。むしろ俺はそのなかでも最たるものだと思う。で、そういうタイプの連中というのは現在槍玉に挙げられているタイプの『約束』に対し、わりあいフランクな態度をとる傾向にある。だが俺はその部分だけが違う。10ある性質のなかの2違っていても、結局8似ているというわけだ。だって何だかんだいっても他の連中より、そいつらのほうが一緒にいて比較的気楽であることは間違いないのだから。





ところで。こうまで約束を守ることに関するこだわりを書いたものの、俺は約束を守ることが大切であるというようなことは匂わせていないはずである。(もし匂っていたらすみません。緑さんの研鑽が足りないようです。)なるほど確かに約束を守ることは社会的、世間的妥当性をもっている。けど俺は社会的、世間的妥当性のハナシはしていない。
ときにこういう話がある。

ふたりの男がテーブルを挟んで向かい合ってお話している。仮にA、Bとする。Bは非常に失礼な男だ。なにかにつけて、Aを侮辱したり、意味のないあてこすりをしたりする。Aはそれが嫌だから「その態度をやめてください」と言う。Bはそれを承諾する。ただしこう言う。「いいでしょう。しかし私はAくんの要求をひとつ飲むわけだから、Aくんも代わりに私の要求をひとつ受けていただく」。そしてAは何かを失う。Aはそっちがその気ならばと嫌味を言うが、Bはまったく気にしない。Bはまたひとつ失礼なことをはじめる。Aは我慢ができずそれをやめるよう要求する。同じようなやり取りが行われ、Aはまたひとつ失う。

たとえ自分が妥当だと思っていることでも、相手にとってはそうではない場合、それの要求はただの強要になる。そして自分が当然と思っているものも、ほんとうは自分が要求しているものなのだ。
これと似たようなことは前にも書いた。自ら制限を架しておきながら、あたかも「架せられてしまっている」と勘違いしている奴は結構いる(上の話でいうAくんのこと)。

というわけで俺は約束を守ることを周囲の連中に強要するつもりはない。ただやっぱり約束は守ってほしいし、待ち合わせはパンクチュアルにいきたいから、俺はやはり「頼むから類は友を呼んでくれ」と願い続けるわけである。