運命があるかないかについて書く。ここでいう運命とは、「一秒あと、あるいはn秒あとに何が起きるかはもともと決まっている」という意味である。まず、運命があるかないかは俺は知らない。ただあることにするといろいろなことが「論理的に成り立つ」。だから俺はあるってことにしている。こういうところをわきまえずにあるだのないだの断言する奴はマヌケかスカポンタン。
たしかに次の瞬間なにが起こるかってことについては色々と可能性が考えられる。俺が心臓麻痺で死ぬとか、メテオが俺の部屋に落ちてくるとか、リトル・グレイがやってきて俺を拐かしていくとか。そして考えつくことってのはすべて「ありうる」。論理的に考えて。だけど次の瞬間なにが起こるかはすでに決まっている。もちろん、物理法則によって。あるいは人間がまだ知り得ない他の法則によって。
「運命(=一秒後なにが起こるか)は存在しない」と言うことが可能なのは、そいつが運命(=一秒後なにが起こるか)を知らないからに過ぎない。むしろその発言は、自身の無知を棚上げしている。まあ別に棚上げしたっていいんだけれどね。

それに関連して、世の中に絶対なんてものが存在するかについて書く。
もちろんある。というか世の中には絶対しかない。上に書いたよう、俺らには知り得ないので、「ひょっとして無いんじゃないか?」と勘違いしちゃうだけだ。
むろんこのことも「そう考えるといろいろ都合が良い」からそう主張しているだけである。そう考えないとどう都合が悪いかっていうと、まあ簡単なところで言うと、絶対なんてものが存在しないと仮定しちゃうと、「絶対なんてものが存在しない」っていう定義自体の確定性がゆらぐ。まあ別にそれは例外ってことにしてもいいんだけれどね。でもあることにしといたほうが色々便利よ。この「便利」ってのが概論でよく言ってる「妥当」ってこと。