概要
知人が紹介してくれたので、読んだ。ネタバレたくさんのサマリと感想を書く。
サマリ
- クソ女、真田 (さなだ) による虐めに苦しむこころちゃんは、中学校を不登校になっている。
- 自室の光る鏡の中には孤城がある。こころちゃんは孤城の “オオカミさま” に招かれて、孤城の中で “願いの部屋” とその鍵を探せ、と指示される。部屋を発見して中に入れば願いが叶う。
- そこでこころちゃんはみんなに出会う。アキ、リオン、フウカ、マサムネ、スバル、ウレシノ。彼ら全員、何らかの事情で南東京市、雪科 (せっか) 第五中学に行きたいが行けない連中だ。原因はそれぞれだ。大体は、校内での人間関係構築に失敗したことと、家庭内の人間関係もぎこちないことが原因。
- みんなは孤城でダラダラと過ごし、ゆっくりと人間関係を育んでいく。加害者への恐れから、外出すらままならないほどに病んでいるこころちゃんも、似たような境遇の彼らとはまあまあ過ごせる。
- “私たちは、助け合える。一緒に闘える。” 人間関係を育めたことで、彼らは現実世界でがんばっていく力を得ることができて、 “願いの部屋” の必要性は下がっていく。
- が、アキちゃんだけは現実を絶対に変えたいと思っていて、17時以降も孤城に留まり続けるというルール違反を犯す。アキちゃんは孤城に閉じ込められてしまう。しかし “戻ってこおおおおおいってば!” 心が強くなったこころちゃんに助け出されて、アキちゃんも現実で頑張っていく覚悟を持つ。
- アキちゃんを助けるときに “願いの部屋” を使ったことで、彼らは孤城の記憶を失う。しかし得た心の強さはそのままで、彼らは現実でうまくやっていけるだろう。
- この結果に “オオカミさま” も満足だ。彼女は、死んだリオンくんの姉である。弟が雪科第五中学の人と仲良くなれるよう取り計らっていたのだ。
感想
全体的に。
- この小説、良かったぞ……。
- 冒頭は、こころちゃんへの心象はかなり悪かった。ぼくのメモにも、こうある。
- “みんなの自由さを真似しなきゃいけない? みんなどの程度本気か分からない?” なんや、コイツ……。みんなはどうでもいいだろ?!
- “胸にこみ上げたのは、怒りだ?” 何で?! どこにキレてんの? 親はお前のことを心配しかしてないだろ! なぜ敵視してんの……。
- が、そのぶん後半の成長ぶりに胸打たれたよ。メモにも感動が残っている。
- “別に忘れてしまってもいい……私がその分、覚えている。” ……おぉ、こころちゃんに自我が芽生えている……
- “たかが、学校。もし嫌になったらどこでも行ける。” ……視野の広がりがすごい。
- 振り返ってみると、こころちゃんは、現実からも、孤城からも、すべて学びとエネルギーを吸収している。ここまで、こころちゃんを (メモで) ディスりまくってきたからこそ、変化に感動する……。
- こころちゃんだけでなく、アキも、記憶を失ったものの、人を頼ろうという精神を手に入れていた。助けを求めていいのだ、と素直に思えるようになったのだ。 “戻ってこおおおおおいってば!” で腕を強く引かれた曖昧な記憶が、その後の彼女の人生を支えた。
- 現実で、心の強い人っているよね。じつは幼少時に孤城へ行っていて、その後記憶を失ってはいるが、心の強さだけは保ち続けているのかもなあ。なんてファンタジーな想像をしちゃったよ。
- とくに良かったのがさ……この話には、なにか、心が強くなる明確なイベントがあるわけではないんだよな。これはサマリをすごく書きづらい小説だった。明確なイベントのない物語はサマリを書きづらい。彼らは、なんとなく一緒に過ごして、ゆっくりと人間関係を育んで、気づけば心の支えを得ている。だからこそ、通読する価値を感じたんだ。通読したことで、彼らの絆を感じることができた。
映画版の話するか。
- 勧めてくれた知人は、冒頭のいじめの描写が辛くて、小説版を読むことはできなかったそうだ。映画版を観たんだって。 (なんで勧めてきた……?)
- 映画版も観たのだけど、ぼくはすっかり『かがみの孤城』の原作厨だからさ……
- “マサムネくんの、オレたち助け合えるんじゃないかな、はもっと感動的なシーンだっただろ! なんでサラッと描写した?!”
- “なんで!! こころちゃんの最大の名言、戻ってこおおおおおいってば!! が!! カットされてんだよ!!”
そのほか。
- こころちゃんの不登校に悩む母親が、 "行ってきます" なしで出かけるシーンがある。こころちゃんはそれにショックをうけるんだ。 "そんなまさか" と。やっぱり、挨拶がないっていうのは日本の一般的な価値観では異常事態だよな。
- 最近の読書メモのやり方なんだけど、はじめに目次を見て、ノートにセクションを用意することにしてる。各章のメモを、分けたスペースに書いていく感じね。これ、やりやすい。