概要

これを友達に貸してあげたわけよ。そんでお茶とか飲みながら感想を言い合ったわけね。楽しいよねー、同じ本を読んで感想を言い合うのとか、同じモノの絵を描いてみせあうのとかって。その子の感想は、ぼくのとは大きく異なって面白かったんで、そのことを書いておこう。

 

友達のインプレッションと、ぼくの所感

  • 牧名さんは “自分の言葉では喋っていない” “義務感で喋っている感じ” がする。
    • ふむ。牧名さんの代名詞、 “とか言っている女がここにいるとして、君はどう思う?” とか、 “無理なの。だって、言うべきじゃないことを言ってしまったら、私は” のことだろうか。
    • “義務感で” というのはよく分かる。牧名さんは自分の言動すべてにきちんと責任を持つ人だから、彼女から発された言葉は、すべて検閲のフィルタを通して発されたものである。それを義務感で喋っていると表現することはよく分かるね。
    • それを “自分の言葉で喋っていない” と表現することは、ぼくには無い感覚。
  • その義務感は、牧名さんのレイプ被害経験から来ているのではないか。
    • 彼女は高校生当時、交際相手から “レイプ” 被害を受けた。が、交際関係にあったことと、マキセさんが自ら家に誘ったという状況から、レイプではない、ということになっている。だから、レイプをされたことがないことになっているのだ。表向きにはね。
    • このとき、牧名さんは、自分の言葉でレイプ被害を証明できなかった。これが心の傷になっており、発言の内容に異常にこだわるようになったのでは、というのが友達の分析だ。
  • そんな “自分の言葉で喋っていない” 牧名さんへ、拓人くんが “牧名沙羅はここにいるよ” と言ってあげるところが良い。
    • 中盤、食事から帰るとき、酔っ払った牧名さんが拓人くんに、性的搾取への抵抗感を表明するときの話か。いつもの “とか言っている女がここにいるとして、君はどう思う?” が飛び出すのだが、拓人くんは “いるとして、なんていちいち仮定法を使わないでも建築家のマキセサラならここにいるよ。僕が見てる、聞いてるよ。” とクールに返すのだ。それに対して牧名さんは “いるんだ。” と、初めてその事実を知ったみたいにつぶやく。
    • 友達がこの一節に感銘を受けたことは素敵だと思うけれど、ぼくはうまく共感できない点。
    • うまく共感できない点があるのも、感想を言い合う面白いところだ。
  • 牧名さんの言葉は無味無臭に感じる。
    • この感想がぼくには面白くて、ぼくは “え? めッちゃ味あるけど!” と思うんだよな。それはきっと、牧名さんの発言への責任の持ち方について、ぼくがすげー共感するからだろう。
    • 一方で、友達はわりとエモーションを大切にするタイプで、ぼくにとってはそういう、 “検閲” のかかっていない言葉のほうがむしろ、無味無臭に感じる面もある。
    • もちろんディスる意図はないよ。同じ本を中継点として、感性の違う者同士が意見を輸入、輸出できるのが楽しいのだ。

 

所感

だから彼女はレイプをされたことがないことになっている。
そういうわけだから私は、実際のレイプ被害者の痛みを知らないことになっている。そんな私が「レイプされている気分だ」と言う資格はない。

これさ、わかるよ。緑さんは中高の6年間、 “鬱” だったのだが、診断を受けたことがない。そんなぼくが、 “「鬱を経験したことがある」と言う資格がない” のと同じだ。まあ、なんというかその、「レイプ」と “レイプ” との違い、そして「鬱」と “鬱” の違いのことは、よくわかるよ。まあいいんだ。他人に押し付けることさえ無ければ、ぼくはぼくの “鬱” を大切にするだけだから。