概要
前回の続きを、知人から借りて読んだ。これだ。ぼくが子どものころ読んで、感動したのはこの巻だ。サマリと感想を書く。
サマリ
- 赤楽 (セキラク) 2年、慶国 (ケイコク) でのこと。首都の堯天 (ギョウテン) の金波宮 (キンパキュウ) で、景王になった陽子さんはすごく困っていた。胎果 (タイカ) の陽子さんには、臣下の言い分を吟味する他出来ることはない。ただ、みんなを満足させることは不可能なので、必ず誰かの溜め息を聞くことになり、果てには、自分を選んだ景麒 (ケイキ) ですら溜め息をつく。だけど我らが陽子さんは先王とは違い、自分と闘うことを知っている。陽子さんは町へおりて、みんなの暮らしを知るところから始めることにした。 (なんつー立派な人だ……。)
- 陽子さんが、賢者の風格を持つ遠甫 (エンホ) さんから治世を学びつつ町で暮らしているとヤバイことを知る。和州 (慶国の州のひとつ) の拓峰 (タクホウ) というところの昇絋 (ショウコウ) というヤバイ奴が好き勝手処刑とかやっており、その上には和州候の呀峰 (ガホウ) というヤバイ奴がいて、そいつは冢宰 (チョウサイ) の靖共 (セイキョウ) と癒着していることを知る。キレる陽子さんだけれど、王朝での陽子さんは権力がない。正攻法ではどうしようもないので、陽子さんは、謀反を企てる一派に加わることにする。
- そこで出会ったのが、祥瓊 (ショウケイ)、桓魋 (カンタイ)、大木鈴 (オオキスズ)、虎嘯 (コショウ) たち。
- 祥瓊は、芳国 (ホウコク) の峯王 (漢字が変わるからややこしい) であった仲韃 (チュウタツ) の娘である。仲韃が人口の1/5を死刑にしたせいで謀反が起こり、家族を全員殺される。鷹隼宮 (ヨウシュンキュウ) での暮らしを思い返してばかりで、芳国の人々に憎まれることにずっと逆ギレしていたが、慶国へ至る旅の中で大正義楽俊 (ラクシュン) と出会い諭されて、自分が父王を諌めることをせず、公主としての責任を果たさなかったからだと理解してマトモな奴になる。
- 桓魋は、麦州 (慶国の州のひとつ) の州候の浩瀚 (コウカン) さんの部下。いつか呀峰をボコろうとしていた。
- 大木鈴は、才国 (サイコク) の保州 (ホシュウ) の塵県 (ジンケン) の琶山 (ハザン) の翠微洞 (スイビドウ) の飛仙 (ヒセン; 仕事しない仙人) である梨耀 (リヨウ) に100年間いじめられている奴である。 “あたしって可哀想” 系女かつ “あなたにあたしの気持ちは分からない” 系女で、才国の采王 (漢字が変わるからややこしい) である黄姑 (コウコ) さんに “あなたはもっと大人になったほうがいい” と言われて逆ギレする。12歳の清秀 (セイシュウ) に諭されてマトモな奴になる。
- 虎嘯は、昇絋をボコるために反乱を起こす。
- 陽子さんは上述の者たちとともに和州の乱を成功させ、陽子さんをナメていた禁軍は、その覇気を見て叩頭した。そして陽子さんは朝廷に信頼できる者を求めているので、彼らを王宮へ招くことにした。
所感
- 今回はトバしてくる。新出の固有名詞が非常に多い。メモを取らずには読めなかった……。
- そろそろ各国の年号を追うことがキツくなってきたな。天帝か西王母には、西暦みたいな概念を導入してほしい。
- 「お涙でいっぱいの水樽みたいな頭」: 祥瓊さんのこと。敵意とユーモアで満ちた直喩で笑っちゃった。
- 「あの小娘はいまもって自分の罪を分かっていない。だから償いのことなんか、考えない」: 祥瓊さんを虐待する沍姆 (ゴボ) さんの言葉。なんか祥瓊さんは芳国の人々に嫌われてるんだけど、何が? と困惑する読者に、その理由をわかりやすく教えてくれている。まあ祥瓊さんがウザいのは、あれは仕方ないだろう。無知なのは仕方ないだろ。人の才覚は、知ったとき、どう向き合うかで決まるんだから。
- 「べつに不幸じゃなくても、無理やり不幸にするんだよな、そういうやつって」: 大木鈴に向かって清秀 (セイシュウ) くんが吐き捨てる言葉。清秀くんは、都合の良い物語の装置味が強すぎる。大木鈴に改心してもらう必要があるから、作者が用意した都合の良い改心マシーンだった。それゆえ、大木鈴が改心した経緯はどうにも作り物じみていて、好きになれなかった。物事の暗い面を見て、人を捕まえては、 “この面を見ろ!” というような迷惑なキャラクター。
- 「人が幸せであるのは … (中略) … その人の心のありようが幸せだからなのです」: 黄姑さんの言葉。物事の明るい面を見て、未来を明るくするために努力する奴は、幸せになる前から、幸せなのだ。そういう奴と知り合えたら、明るい面を見せてもらうようお願いするんだ。そういう奴は精神が独立しているので、 “この面を見ろ!” なんていちいち言ってこないぞ。
- 「信じていいはずだ、楽俊があれほど気にかけるのだから」: 楽俊のことが大好きな祥瓊さんの言。アツい。ぼくも、楽俊に気にかけられるような奴になりたいぜ……。
- 勘気: これは普通に知らなかった言葉。目上の人の怒りに触れる、みたいな意味らしい。
- 「ばかね」: 恭国 (キョウコク) の供王である珠晶 (シュショウ) ちゃん90歳が麒麟をあしらう台詞。麒麟との付き合い方はこんなもんでいいんだよ。
- 「主上、お待ち下さい」「主上……!」「……主上!」: バタバタする景麒さん。独断専行する陽子さんを表しているようにも見えるけれど、上述したような、供王のような例を見ていると、麒麟との付き合い方はこんなもんでいいんだろうと思える。
- 「人はね、景麒」: 陽子さんの、この台詞。冒頭で書いたように、ぼくは、子どものころに読んだこの一節をずっと覚えていたんだ。20年以上覚えているのスゴくね。「真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、しぜんに頭が下がるものだ。」素晴らしい台詞だよ。ぼくの人格形成の中の、 “人への敬意” というジャンルにおいて、この考え方は大きな存在感を放っている。陽子さんが言うように、本当に相手に敬意をもったとき、それはおのずと表れるものだ、と思っている。表面的な敬意を要求する必要はないし、自分も敬意を取り繕う必要もない。本当の敬意は勝手に表れるものだから。そして本当の敬意だけが、価値あるものだから。
- ただ、景麒さんは伏礼をもって禁軍との睨み合いを鎮めたじゃん? その直後に伏礼を廃すると、ちょっと景麒さんの立場がなくね? と、今読んで、思った。