概要
知り合いの高校生が、英検合格のお祝いとして、今期 (175回) の芥川賞受賞作をねだったらしい。へー、感心だなあ、どんな作品なんだ? どれどれ、あらすじは……
「わたしはこのホテルの、たったひとりの掃除婦。殺されたゾンビの骸を拾い集めて、世界を美しく保つのだ。」
めっちゃ面白そう、ぼくも買います。

というわけでネタバレサマリと感想を書く。
サマリ
- 孤独なゲーム開発者ミーシカ・コソラープィは、話題作『Fear Of Missing Out』、あんまり振るわなかった『Tranquilizer for Zombies』を経て、 NPC に AI を搭載した『Unplugged Hill』のデモ版を発表する。
- 『Unplugged Hill』は賛否両論に晒され、ミーシカは心を病み、完璧主義が災いしてどうしても製品版をリリースできず、ずっと AI によって運営されるゲーム世界を手動でメンテナンスする病みきった日々を送る。
- そのメンテナンスは、彼が作り出したゾンビたちのメンタルケアを含む。なにせ一体一体に「初語」という名の初期設定を手ずから与えた彼の子供たちなのだ。大切にせねば。
- 一方、 AI の普及により失職した夫妻がいた。夫はテンションが上がり、ひとり旅行へ出かける。妻はひとり病み、たまたまおうちにあった『Unplugged Hill』のデモ版にのめりこみ、 VR ヘッドセットの中に閉じこもる。
- 『Unplugged Hill』の主な舞台である「口唇期ホテル」で彼女はカッとなってひとりの NPC を銃殺する。その NPC はゲーム内で、ゾンビの遺骸をクリーンアップする役割をもったキャラクターで、それ自身はリスポーンしないし、倒されたゾンビは山積しつづける。彼女はその回収夫に代わり、ゾンビ回収婦となる。
- 働くことに飢えていた彼女は回収婦としての日々を送る。10日くらい。 VR 世界で。彼女はゾンビたちに個性を見出し、親しみを持つ。中でも気に入った個体にアラスカと名前をつけて慕う。もちろんその個性はミーシカによる「初語」の設定によるもの。
- 10日の中で、ミーシカによる全 AI のメンテナンスが繰り返される。ひとりひとりと対話するカウンセリングだ。彼女の番がやってきて、ミーシカとの……双方が相手を AI だと思っている……対話の中で、彼女は自分のメンタル面の病巣を発見する。
- 彼女は「犬嫌いの一族が大型犬を飼い始めたような子育て」により成長した。親は彼女を子供ではなく一人前の人間として扱い続けた。彼女は自己肯定感に飢えた人間になった。目上の存在ができると、その者に自分の意思と価値を明け渡すタイプになった。そして「働かざる者食うべからず」という価値観が染み付いた人間になった。
- 『Unplugged Hill』は普通にネット公開されているオンラインゲームなので、たまにプレイヤーがやってくる。プレイヤーのひとりに、彼女のお気に入りのゾンビが倒されたことで彼女は激昂しプレイヤーを叩きのめす。以来彼女はそのゾンビのリスポーンを探し続ける。
- ミーシカがそのゾンビに与えた「初語」は「人間らしく」。その初期設定の影響で、そのゾンビは NPC ゾンビとしての職務を全う出来なかった。リスポーン後、「口唇期ホテル」へ戻らずはぐれゾンビになっていた。それを見たミーシカは、自分の悲願であった「ほんものの事象」が実現しているのを悟り滂沱の涙を流す。
- 一方彼女のほうは VR ヘッドセットを着けたまま10日間食事をせずに痩せ細っているところを、親に発見される。そして療養所へ入所。療養所には、 VR によって現実と仮想の区別がつかなくなった患者が何人もいるらしい。
- 症状が一度は落ち着いたものの、やっぱダメ。彼女はとうとう VR ヘッドセット無しで、瞼の裏で「口唇期ホテル」に行けるようになってしまった。そこでまたゾンビ回収婦として働き、幸福だ。
- その中で、彼女のパーソナリティが親から受けた教えから構築されていることを改めて悟る。「働かざる者食うべからず」、「ちゃんとしなさい 恥ずかしい 他人様に迷惑をかけない」、「急げ 急げ 結果出せ 急げ 急げ ミスすんな 改善しろ 向上しろ 発展しろ 進歩しろ 死んでもミスんな 進化しろ」。
所感
ミーシカについて
- ミーシカお前、そんな性格でどうやって2本もゲーム出したんだよ。
- 病んだ完璧主義者のミーシカの独白「ごちゃごちゃうるせえな! それでも込めたいんだ光を丁寧に! 俺は!」いやあ……クリエイターはこうでないと……。
「口唇期ホテル」って何
- いやホテルの名前として意味がわかんなさすぎて、これのせいで、ぼくは最初は、「このゲームは和訳が不完全すぎて、そのせいで無駄に神秘的に見えてるんじゃねーか?」と邪推しちゃったよ。「グッドニュースっていうのも主人公が英語わかんなさすぎて、ただの会話の一部を人名みたいに捉えちゃってるだけでは?」とね。勘違いだった。
- 口唇期はおおむね出生時から2歳までを指すらしいから、ホテルに棲み着くゾンビたちのことを開発者は我が子だと思っているから、ゾンビたちが幼少期を過ごす場所としてそういう名前にしたんかな?
夫について
- 夫はイカれてしまったのか?:
- 彼女が夫の変貌に驚いていることについては、あんまり驚きはない。だって、そもそも関係性の構築に失敗しているふたりだと思う。日常の情報共有もあまり行われていないだろう。夫が彼女の知らないところでいろんな友達を作っていても不思議ではない。そこで楽器の演奏とかもしてたんじゃね?
- なにせ、「ようするにわたしはあの男のことを、まるでよく知らなかった」んだからさ。同居しているのに人間関係に失敗しているのって残念だね。
純粋におもろかったところ
- 読んでいる最中はわかりづらかったけれど、ちゃんと「謎 → 解説」っていう流れになっているんだ、と感じた。ミステリーっぽくて良かった。
- 「わたし」は、 VR 世界が『Unplugged Hill』であることは知っている。なのにどうして現実と仮想の区別がつかなくなった? それは、 IT システムについての解像度の低さが一因だろう。それにより、たとえば「ゾンビに刻まれた文字」を見たとき、技術的な因果関係へ発想が及ばず、神秘として受け取ってしまった。何事においても、解像度が低い状態だと、同程度の現状認識の人とだけ話が通じるようになる。継続的な学習は大切だ。
わたし性について
- わたしの大部分はこの社会に接収されていた。生活のうちのどの部分にわたし性は宿っていた?:
- 「わたし性」っていう言葉いいな?! 自分が本当にやりたいこと、自分らしいところはどこなんだろう、ってことだよね? それが一言で表されている良い言葉。
- それで、どの部分にわたし性が宿っていたのかというと……、まあ、親の教育によって刷り込まれた「働かざる者食うべからず」だよな。「その言葉はわたしだった。わたしそのものだった」と独白しているし。
- この『ゾンビ回収婦』は、彼女がそれに気がつく物語なんだよ。
- VR 狂のゲーム脳になって大暴れしているセンセーショナルな姿が強調されているけれど、それはただ彼女の自己発見を鮮烈にするための舞台に過ぎない。
というわけでぼくが思うに、『ゾンビ回収婦』は、「わたし」が完璧に働くことにアイデンティティを見出す話だ。もちろんそれは社会と親による「呪い」を明確に出来ただけで、幸せなわけではないと思う。まあこれは文学作品なので、「そういう人がいっぱいいるんじゃないか?」という問いかけだということになるのかな。あとは添え物として、ミーシカの価値観である、不完全なことこそ人間性である、という考えが添えられている構図。
知らなかった言葉
- 心の裡: ウチと読む。内というか、裏という意味らしい。漢検準一級。
- バンケットホール: Banquet hall. 宴会とかする広い部屋。
- 口唇期: フロイトの造語。心理性的発達理論の中の最初の段階。おおむね出生時から2歳まで。
- 人いきれ: 人熱れと書く。多くの人がいるせいで熱気と湿気がこもった状態。
- 吸啜行動: きゅうてつ行動と読む。口でくわえて吸う行動。
- クッキー・ドゥ: Cookie dough. 焼く前のクッキー生地。
- ミニチュア・ピンシャー: ちっちゃなドーベルマンみたいなカワイイ犬種。
- 亜急性期: 急性 (発症から数日) と慢性 (症状は安定しているが完治が難しい) の間。