今年はずっと、親愛なるルームメイトたちと宅飲みしてた気がするな。

2018年

★2018年アーカイブ★

ゲーム

★ゲームアーカイブ★

3本しか遊んでいない……だと? 全然ゲームしてないじゃん。一体何をしていたんだ、今年は? フリーゲームをひとつも遊んでいないのは初なんじゃねーかな。
ダークソウルも Stardew Valley も楽しめたよ。DQ11も楽しめているから、クリアできそうだ。

読書

★感想文アーカイブ★

9冊か。読書の習慣は完全になくなったと言ってよいな。だけどそれでいいんだ。やりたいときにやればそれでいいのさ。親愛なるルームメイトと、野宿旅がそう教えてくれた。
印象深いのは、かつて住んでいた町が舞台になっている宮沢章夫『不在』と、野宿旅の最中に読んだ村上春樹『騎士団長殺し』かな。どちらも隠喩に満ちた作品だ。比喩とはそもそも、現実にあるものを他の何かで表現する技術だ。だけどあまりにも隠喩にみちみちたこれらの作品はぼくらに、そもそも現実が何かの比喩なんじゃないかと思わせる。その感覚が好きなんだよねー。

プログラミング

★プログラミングアーカイブ★

こちらの記事も読書とおなじくだいぶ数が減ったようだ。いくつかのプログラミング問題と、iOSアプリ制作だけ。でも実は裏では結構みろりHP引っ越しの作業を結構やっているんだ。

みろりHP引っ越しプロジェクト

これがむつかしくてさー! いまはブログ記事をHTMLで書いて、それをポチッと投稿するだけだ。だけど引っ越しをしようと思うと、サーバを用意とか、ウェブフレームワークとか、ブログのデザインとか、独自ドメイン取得とかが必要だ。
もっとよいブログサービスを探してこれまで通りちゃちゃっと投稿することもできる。だけどいつかはサーバとか自分自身でいじってみたかったし、よい機会かなと。でもマジでよくわからんので時間かかりそう……。
また、ウェブフレームワークとかイチからやらなくても有名なブログフレームワーク WordPress を使えばもっとサクッとできるかもしれない。でも WordPress は Python ではなくて PHP だからさあ。Python 好きだから、今回は Django を使うことを考えている。
いろいろ引っ越しに際して学んだノートは書き溜めているので、めどがついたらアップしていくつもり。

アコギ

★アコギアーカイブ★

はいやってません。今年の初頭にすこしむつかしいアルペジオをやって以来やっていない。
まあ、やりたいときにやればいいのさ。たまーに宅飲みのとき、親愛なるルームメイトに弾き語りをきいてもらったりはしている。

運動

野宿旅にでるときジム通いをヤメた。増えた筋肉と体重は、もとに戻った(体重5キロ増えた体重5キロ減った)。ジム通いには結構満足している。やろうと思えばいくらでもトレーニングを継続できるということがわかった。
それと同時にわかったのが、ぼくは身体の悲鳴を無視しがちだということだ。ぼくはトレーニングをいくらでも継続できる。今日は行くのサボっちゃおうかなーとか、まったく思わないことができる。そうしてジムに通っているあいだ、めちゃめちゃ風邪ひいたんだよ。
ジムやめたらまったく調子を崩さなくなった。おそらくぼくは、身体の不調を無視してトレーニングをしていたのだろう。
トレーニングとは痛みに耐える遊びだ。だけれどより適切にいえば、痛みに適切に耐える遊びなのだろう。ぼくにはその加減がわからないみたいだ。ジム通いに向いていると同時に、ジム通いに向いていない。もうヤメとこう。
でも楽しいんだよなージム!!

野宿旅

野宿旅を一ヶ月おこなった。それで主に思ったことは、ぼくはもう旅を必要としていない、ということだったわけで、それはもう記事に書いた。
ただもうひとつ考えたことがある。ぼくは一度にいろんなことをやるのに向いていないということだ。これまでぼくは毎日たくさんの趣味を行っていた。ゲームして、ギターを弾き、読書して、プログラミングして、料理をして、ジムでウェイトを上げていた。ツライけど、ツラさは無視した。そりゃ当然ツライけど、ツラさに耐えなきゃどこへも行けはしないだろうと思った。だけど向いてない。ってことは、どこかへ行くのが向いてないってことなのさ。そんなふうに、気楽に思うようになった。
きっとそういうわけで、今年はゲームが減り、読書が減り、プログラミングが減り、アコギが減ったのだろうと思う。

そのほか

★みろりHPアーカイブ★

ウェルに教えてもらった、ナポリの男たちの動画をよく観てる。グループ実況も楽しいし、個人実況では蘭たんも笑わせてくれるがshu3がすごい。お気に入り。ゼノギのやべー奴。
お絵かきはあんまりしていないけれど、先日レーザー加工で遊ぶ機会を得たときにすこしかいたな。あれは楽しめた。

今年も、自分で考えて、自分の脚で歩き、変化をおそれない例年通りの年となった。来年も同じように非の打ち所のない年となるだろう。