概要

  • 緑さん「こんな本借りてみた。『結局、ウナギは食べていいのか問題』」
  • ルームメイト「ゼッタイダメに決まってるけど価値観次第って結論にまとめてそう

That's right!!!! サマリと感想を書く。

 

サマリ

全編とおして、「ダメに決まってんだろ」感と、「過剰漁獲のことを利益のために『必要悪』とかいって黙認してる奴は死ね」という怒りで満ち溢れている。だけど、この筆者は理性的だ。「研究者にとって重要なのは中立的なことではない……だって中立なんて不可能だから……、大切なのは独立していること」だとしつつ、中立的に努めるよう書いているように思った。

  • ウナギは IUCN(国際自然保護連合)でも絶滅危惧種 EN 種、日本の環境省でも絶滅危惧 IB 種に認定されている。
  • ジャイアントパンダは EN よりレベルの低い VU だが、捕獲全面禁止になっている。しかし絶滅危惧レベルがそれより高いウナギはいまだに捕獲されている。

なんでかっていうと、ウナギ産業に関わっている人間たちがマジでヤバイ。

  • 2015年に捕獲量を制限する合意が日中韓でなされたが、その制限量が実際の捕獲量の2倍に設定されている(78.8t)。それは制限っていわねえ。
  • 市場に流通しているウナギの7割が密漁、無報告といった違法行為により流通している。
  • 出荷されるウナギが違法に捕獲されたものかどうかは出荷された段階では判別不可のため、老舗だろうとチェーンだろうとコンビニだろうと、7割は違法。
  • ウナギの耳石に偽装不可のマークをつけ、正規のルートで流通したウナギであることを証明する方法もある。しかし現在のシステムで利益を得ている問屋、養殖業者、小売業者が利益にこだわり違法行為の抑制に反対している。
  • というのも、ウナギに関する違法行為の罰金が10万円程度なのに対し、ウナギの利益はキロ100万円以上。こんなの違法行為が絶対なくなるわけない。
  • こういう輩はウナギ研究者に接待を行い癒着を進めている。筆者の海部さんも、産業界や行政から「ウナギ業界に不利なことを言わないように」と介入されている。
  • 「ウナギの養殖」といっても、その実は「蓄養」であり、天然のシラスウナギをとっ捕まえてきて養殖池に突っ込んでいるだけだ。
  • 水産省がウナギ生息環境回復のため、として設置している「石倉カゴ」は、環境回復になるという科学的知見の存在しない採集用具に過ぎない。
  • 漁業法で、漁業協同組合にはウナギの増殖義務が課せられているが、やっているのが「養殖池から成長の悪い個体を購入して河川に放流」というもの。
  • 放流は感染症を拡散するわ、群れの性差がおかしくなるわ、既存の群れに悪影響を与えるわ、良いことがない。2018年8月28日の産経ニュースでは、子供に放流をさせ「卵を産んで元気に戻ってきてね」と見出しをつけているが、そもそも生き残れない可能性が高いし病原体を拡散するかもしれない。地獄への道は善意で舗装されているというがまさにそのとおり。
  • 一部の企業は違法行為が関わるウナギを扱い環境負荷をかけているにも関わらず、一部の保全活動だけを取り上げ環境保全をアピールする「グリーンウォッシュ」を行っている。これは詐欺といって差し支えない。

ウナギ産業ではこれらの行いが必要悪だと信じられている。

もうこの時点で「結局、ウナギは食べていいのか問題」についてはおしまいでいいかなと思うのだけど、その一方で、ウナギの再生産速度を復活させるために必要なことについても筆者は触れている。

  • ウナギの通し回遊(海と河川を行き来する生態のこと)を阻害しているのは、落差工や堰、ダムといった「河川横断工作物」である。だからそれを撤去すればよい。数十年前には当たり前に河川や田にウナギが遡上していた。当たり前を取り戻せ。
  • 放流は放流でも、「河川横断工作物」に阻まれるウナギを汲み上げ、「その先へ放流」するものならば効果があると考えられる。
  • 「蓄養」ではなく、完全に養殖池のみで生産する養殖を「完全養殖」という。これは研究では成功しているが、コストが高いため商業化されていない。
  • ワシントン条約の「附属書」に掲載されれば、一切の国際的商取引が実質的に不可能となる。「このままだとワシントン条約による規制を望む声は大きくなるだろう」と書いているが、筆者もそれを望んでいることがひしひしと感じられた。
  • 市場の7割が違法ウナギである状況が変わらないのは、 違法行為の利益 * それが発覚しない確率 > 違法行為の損害(罰金罰則のこと) * 発覚率 の不等式がまかり通っているためなので、その不等式を反転させればよい。

最後に筆者は

関係者に憚って曲げることなく、率直に公開することが、大学に雇用されている研究者としての責任だと考えています

と結んでいる。

 

感想

ウナギの再生産速度は、消費速度に完全に負けている。であれば、「結局、ウナギは食べていいのか問題」については、絶滅をよしとするなら YES だし、絶滅をよしとしないなら NO となるだろう。これは論理の話だ。

「河川横断工作物」の撤去、あるいは「河川横断工作物」をまたぐように放流する試みが効果あるものだというのに、実際の漁獲量の2倍に設定した制限だの、石倉カゴだの、養殖池から成長の悪い個体のみ放流するだの、素人のみを欺くような試みばかりがなされている現状って、もやもやするよな。都合の悪いエラーを出している関数を例外処理で pass するだけで放置しているような、粗大ゴミの出し方がわからないから押し入れに全部突っ込んでいるような、解約の手続きが面倒だからって不要な保険をずっと放置しているような、痩せるために高価なサプリメントや器具を買うだけで満足しているような、そんな印象。「違う、そうじゃない」ってやつだろう? これ。

正味なところ、ぼくはウナギには絶滅してもらって構わないと思っている。絶滅なんてどうでもいい。ぼくがウナギは食べないようにしているのは、絶滅危惧種の動物を食べるのはインモラルだと感じているからだ。空き缶をポイ捨てしないのと同じだし、定食屋を出るとき大将に「ごちそうさん」って声をかけるのと同じだ。モラルの話だ。ただの、育ってきた教育環境によるものだと思う。個人的には、それで良いと思う。シンプルな生き方は、醜い毒沼から自分を遠ざけてくれる。