トロコン

PS4 のゲームは SEKIRO、 FF15、 バイオハザード RE:2 とトロコンしてきた。 Bloodborne もちょうどよいトロフィーラインナップだったと思うな。よいゲーム体験だった。貸してくれた知人にも感謝だ。

ただ、クリアした瞬間に次の周回がはじまってしまうのはあまり好みではなかったけれど。って、そこんとこも SEKIRO では改良されているのだよな。マジでこの会社のゲームは進化の一途をたどっているような気がするぜ。この感覚は、最新作である SEKIRO からさかのぼって Bloodborne をプレイしたからこそ強く感じる。次作にも期待だ。

 

エンド

Bloodborne は3つのエンドがあったけど、それぞれこんなエンドだったね。

  • 遺志を継ぐ者エンド: たくさんの獣と化物を倒してたら、いつの間にか獣化の元凶と言われている赤い月が消えて普通の白い月になっていた。ええやん、と思ったらゲールマンさんが介錯を申し出てきた。なんの介錯やねん! と断って返り討ちにしたら、自分がゲールマンさんの後を継ぐことになり、この悪夢にとどまることになってしまった……。どういうことやねん。
  • 幼年期のはじまりエンド: 白い月になったはずなのに、また赤い月が出てきた。そこへ現れた魔物を倒したら、自分は上位者の赤子……なめくじの姿になっていた……。どういうことやねん。
  • ヤーナムの夜明けエンド: ゲールマンさんの介錯をおとなしく受け入れると、夜は明け、ヤーナムの朝日を観ることができた。終始流されるままで、何にもたどり着かないエンドだとは思うけれど、一番最後に観たエンドで朝日が観れてよかった。

SEKIRO のときは御子ちゃんが生き残るエンドを観たい! という思いでガンバれた。今回のモチベーションは、愛着のできた我らが自キャラに、全部のステージを歩かせてやりたい、全部のボスを倒させてやりたい、という思いだった。

よくがんばりました、ねこちゃん(キャラ名)。

 

総括

もうちっと、ストーリーがわかりやすいと助かるんだが。 SEKIRO のときと比べて、何のために戦っているのかわからないから、ゲールマンの介錯にもなんて答えたらいいかわかんないし、無口な自キャラに対して「おい、さすがになんか質問とかしろ」って思ってしまった。もちろん、そのぶんテキストから真実を探り当てる作業が面白いのだろうけど。今回はそれをサボっちまって、ちんぷんかんぷんなまま、エンドをコンプしてしまった。

やっぱ SEKIRO くらいの、「目的がとてもわかりやすいし、隠し要素も多くてやろうと思えば考察も捗る」というのが理想だと思う。って、 Bloodborne 始めてから SEKIRO の話しかしてなくね?

おわり。さようなら、人形さん。

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