親愛なるルームメイトに貸してもらって読んだ。



サマリと感想を書く。



党首ビッグブラザーが統治する国オセアニアが舞台。物理的にも精神的にも完全に監視された社会で、国中に監視画面のテレスクリーンと盗聴器が据えられ、不満や疑問を表情に出しただけでそれは犯罪行為となり思考警察に逮捕される。ニュースピークという新しい言語を公用語としている。それは思考の範囲を狭め、過去の言葉をオールドスピークとして破壊する。
そして党にとって不都合な過去は徹底的に改竄している。もうすぐ四十路のウィンストンはその仕事に携わっている。しかし実際はこの監視社会にうんざりしており、いつかブラザー同盟のような国家転覆をもくろむ地下組織がクーデターで党を討つことを望んでいる。

あるとき同じく党に勤める女性ジュリアがウィンストンに告白してくる。彼女は一見すると党とビッグブラザーの熱烈な支持者だが、実際は党が堕落とするものを愛している。ウィンストンが同じ種類の人間であることを目の光で理解したのだ。すげえ。
ふたりは古道具屋の2階にこさえたテレスクリーンのない隠れ家で逢瀬をかさねる。いつしか労働者階級プロールに身をやつして、整形して一生ともに過ごすことを夢見ていたが、ふたりはそれが不可能であることがわかっていた。党の監視は行き届いているので、必ずいつか捕まるのだ。
だが吉報がやってくる。党の有力者オブライエンが、ブラザー同盟であることを明かし、ふたりを勧誘してきたのだ。ふたりは党の弱体化につながることなら何でも行うと宣言し勧誘にのる。

だがじきに隠れ家が思考警察に取り囲まれる。そこで隠れ家を提供してくれた古道具屋チャリントンも実は思考警察で、隠れ家にもしっかりとテレスクリーンが隠されていたことを知る。というかオブライエンもホントはブラザー同盟なんかじゃなくて、7年も前からウィンストンに目をつけて見張っていたのだ。
とっ捕まった彼らは監獄に入れられ、拷問を受ける。打擲され、殴られるのが果てしなく続く。12時間続く尋問と屈辱感を与える仕打ちで神経が参り、完膚なきまでにウィンストンを叩き潰す。ジュリアのことを含め彼は何もかも白状しつくす。

だけれどウィンストンはジュリアへの愛を失っておらず、心の中で彼女を裏切ることはなかった。そして心だけは党が支配することができない唯一のものなのだ。

そんなウィンストンをオブライエンは治療しようとする。党が言うことならば4本出された指を5本だと思うように、拷問によってしむける。ウィンストンは「見たものを認識することは意識的作用ではないのだからコントロールなど不可能」と主張する。だがオブライエンは「現実は人間の精神のなかにある。個人ではなく個人の代表である党の精神の中にある」と主張、ゆえに党の言うことはすべて正になると言うのだ。知性にまさるオブライエンをウィンストンはどうしても論破することはできない。それでも彼は自分のほうが道徳的に優越していると確信していた。

しかしウィンストンがこの世でもっとも恐怖しているネズミを使った拷問を受けるとき、ウィンストンはついに「自分でなくジュリアにしてくれ!」と言ってしまう。そのとき彼は自分が確かに、心の底からジュリアを差し出し裏切ったことを自覚してしまう。

すべてをへし折られたウィンストンは釈放され、党の閑職についていた。どうせ嘘っぱちである自軍勝利の放映を聞いたとき、彼は心から歓声をあげ、ビッグブラザーを愛していた。そのときになり、彼はとうとう銃殺されるのだった。



犯罪について
こんな内容の本が一般に受け入れられるような社会文化なのに、犯罪と名のつくものにならなんでも唾を吐きかけるような連中がいるのは意味不明だ。この話って、犯罪なんてものが為政者の都合で作られた一時的なものに過ぎないことを強く主張するものだろうに。

全体主義について
党は客観性というものを排除し、たったひとつの主観をすべての人々に適用し、そうしてできた完璧な世界で、未来永劫ディストピアを存続させるのが目的だ。他人に文句を言う人間全員を象徴している。他人に干渉するのは全体主義の特徴だ。出会った人間たちほとんどに当てはまる。非常に迷惑で、それのいきつくところがこの党だ。かえすがえす、自分たち自身を強烈に批判しているはずのこの本を彼らが受け入れているというのは意味不明だ。
まあ作中でオブライエンは自分たちを全体主義とは分かつてはいる。専制君主は「汝なすべからず」、全体主義は「汝なすべし」、そして党は「汝これなり」としている。だが汝さんに干渉してる時点で同様にカスだ。汝さんのことは放っておけ。

二重思考について
思考犯罪にあっという間にとっ捕まるようなことを言ってはいるけれど、党の推奨する二重思考という考え方はたいしたものだよな。二重思考とは相反する事実を同時に受け入れることをいう。ビッグブラザーが言うんなら「2+2=4」も「2+2=5」もなりうる。そして状況に応じて複数の概念を都合よく現実であることにすることだ。この考え方はむしろぼくが推奨する。てかぼくが普段からやっていることだ。そもそも人間に現実を認識することが不可能なのは、自明だ。感覚器官なんていう有機的なデバイスを利用して認識した現実などなんの信憑性もない。だけどそれだと日常生活に支障をきたす。だからぼくらは「そこにそれがあること」をひとまず前提にして生活している。都合に応じて現実を取捨選択しているのだ。そんなもん二重思考に他ならない。この弁だと誰もが二重思考して生きていることになるが、ぼくが推奨するのは、ぼくらの生活が二重思考に基づいていることを意識することだ。現実など実際はない。

ビッグブラザーを愛することについて
ウィンストンがエンディングで結局ビッグブラザーを愛しちゃったのは何でなのかなーと思ったんだけれど…。多分あれかな? 自分が拠り所にしていたもの(党といえど心は変えられない)が潰されてしまい、生きていく指針がなくなってしまったところに、強固に存在するビッグブラザーが目に飛び込んできて……しかも自分を打ちのめした、自分より強い存在……くらっといっちまったのかな。人生の苦境にある者……たとえば鬱病患者が鬱病を乗り越えるきっかけになったものにその後の人生依存するのと同じ構図。

印象的だったとこ
これは親愛なるルームメイトの同意を得たことなんだが。釈放されたウィンストンは3月に公園でジュリアと再会する。ふたりともお互いを決定的に裏切ったあとで、ジュリアの眼差し何かに対する軽蔑と嫌悪に満ちていた。並んで座っていても、以前のように触れ合う気など微塵も起きなかった。そのシーンの「すべてが台無しになってしまった感じ」が印象深い。