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天然アホ毛。

sekaQ4はやってるが、のめり込みすぎてプレイメモを書く気がなかなか起きないので今日は違うハナシ。
sekaQのほうは第三大地までいったぜ。
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「どうしてヒトを殺しちゃいけないの?」
さてこんな間抜けで今更感漂うテーマをなぜ取り沙汰するかといえば、これに「だめなものはだめだ」と恥ずかしげもなく答えるクソバカがいまだに存在するからだ。
だめなものはだめってお前。
この二十一世紀に?
センスが古いと言えよう。
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「どうしてヒトを殺しちゃいけないの?」
これはいわゆる「前提が間違ってるシリーズ」のひとつで、この質問が成り立つには「ヒトを殺しちゃいけない」という前提が必要だ。
ヒトを殺してはいけませんか? ↓ はい。 ↓ なぜ? |
さてこの前提は真なのか?
そんなわけがあるか。
おまわりさんや遺族に見つかると怒られちゃうよ
それだけのハナシ。
そして、怒られるからといっていけないわけじゃない。たとえば俺は馬鹿野郎と言われれば怒るが、言っちゃいけないわけじゃない。いや言うなよ?
ゆえに
「ヒトを殺しちゃだめだよ」
という発言はおかしくて
「私はヒトを殺さないでほしいです」
が正しい。
そして
「どうしてヒトを殺さないでほしいの?」
となるわけだ。
ヒトを殺してほしくありませんか? ↓ はい。 ↓ なぜ? |
こうなる。つまり、本タイトルの疑問文に即座にダメ出しができない場合は、論理的思考力に問題があるといえる。
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縛りプレイというのをご存知だろうか。
まあみんなテレビゲーム好きだからご存知だろう。
「行動を禁じる」という行為はそれと同じであるということを、今更であるが、当然のことだが、こんな当たり前のことを改めて表明することに若干赤面しつつも明言しておく。
なんで縛りプレイをするのかといえば、プレイする本人が「そのほうが楽しいから」だ。
「どうしてヒトを殺さないでほしいの?」
そいつが、そのほうが楽しいからだろう。
そしてまたまた自明のことを言うけれども、縛りプレイなんてものは別にやる必要はない。
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禁じることは縛りプレイだけれども、縛りプレイは禁じることではない。
どういうことかっていうと 「禁じること⊂縛りプレイ」 だ。
縛りプレイというのは条件付けのことである。
たとえばこんな相談を受けたことがある。
相手「AちゃんとBちゃんの喧嘩に巻き込まれちゃって・・・どうしよう」
ぼく「ぶん殴って目を覚まさせろ」
相手「もっと穏当な方法で」
これは縛りプレイだ。
相手「あの時計が欲しいんだけど、カネがなくてさ」
ぼく「盗めよ」
相手「それはないわ」
縛りプレイだ。
ある道をみずから封じたとき、それは縛りプレイになる。原義の縛りプレイはふつうラクな道を封じてプレイをキツくすることを意味するが、ここでの縛りプレイはその逆にも適応される。
みずから制限を架しておきながら、あたかも「架せられてしまっている」と勘違いしている奴は結構いる。
そういう奴をみて俺が思うのは、自分で縛りプレイをしておきながら「無理ゲー。死ね。」と言ってる奴をみて思うことと同じだ。
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ところで俺は倫理があまり好きじゃない。
「みずから制限を架している」ことを「架せられている」ことにすり替える言い訳全集が倫理だと思う。
俺はてめーで選んだことをヒトのせいにする奴が嫌いだ。
そういう奴にストレスを感じながら生きていくというのが、俺のやっている縛りプレイである。そういう奴にカチあたって気分が悪くなるのは、そいつが悪いのではない。俺が縛りプレイをしているからなのだ。
マグゼロ on 2012年7月12日11:11
自分がされて嫌なことは他人にするな。って言葉もあるが、
これも縛りプレイだよね。
結局みんな縛りプレイしながら生きてる。
自分で何かと選んで縛ってる。これなら縛ってもいいかな?って思って縛ってる。
そのほうが上手く行くからと自分で判断してやってるわけだね。
それなのに自分のやってることに文句言うやつぁただの偽善者。
結局自分で決めてやってるんだから。
嫌ならやるな。他のことを考えろ。
他のことが考えられないなら我慢しろ。(縛りプレイ)
こんな感じかな~?
っと思ったことを書いてみた。