哲学ってなんなのか書く。難しくないから超簡単だから。
哲学は「自分にとって大切なことをハッキリさせること」だ。



哲学はもともと希哲学って名前だった。いつの間にか略されたっぽい。さて、「希う」とは何て読むかご存知だろうか。ご存知あるまい、俺も読めなかった。これは「こいねがう」と読む。では、「哲か」とは何て読むか。まあこれは「あきらか」である。すなわち哲学とは、こいねがうものをあきらかにする学問なのである。つまり「そいつにとって大切なものを解明しハッキリさせること」というわけだ。これが哲学だ。難しい本を読んで実生活に関わりのないアレコレを言い合うことにエクスタシーを感じてる連中は違う。そういう連中はファッション哲学者だから気にしなくてよい。

ホントにそうなのか過去の事例をあげてみる。すげー昔の哲学者は何をしていたか。いまでいう自然科学の研究である。それが当時では哲学と呼ばれていた。中世ヨーロッパはどうか。これは神であろう。あるいは世界はどうやってできたのか、とか。これらが当時の哲学。いま現在の俺らはどうか。人生とは何なのか、なんのために生きるのか。そして、朝6時に目が覚めたとき、起きるか、二度寝するか。これだって重大な問題だ。
昔の連中は自分らをとりまく自然についての知識がなかった。中世には宗教に社会が揺り動かされていた。また、人生の意味については誰しも中学生のころ考えたはず。俺は考えた。朝6時に目が覚めたときどうするか。日々深淵なるテーマに頭を悩ます哲学者だって、朝6時にはそんなことより二度寝するかどうかに脳味噌を使っているのである。俺だって毎朝考えてる。

その時代時代、人それぞれ、一瞬一瞬、そいつが欲しいもの、知りたいもの、答えを出したいもの、こいねがうものについて研究すること、考えること、それが哲学だ。つまりは何かついてちょっと真面目に考えたことのあるやつは哲学したことになるのである。答えを出せたかどうかは関係ない。

哲学っていう日本語を最初につくった(てかphilosophyを翻訳した)のは西周っていう奴なんだが、こいつは凄いよ。こいねがうものをあきらかにする学、というphilosophyの本質を「希哲学」という言葉のヒントなしに解き明かしたんだから。哲学ガチ勢だから。こいつには俺も中々勝てる気がしない。ガチ勢怖い。



ところで「哲学」って言葉には他の使い方もある。個人の人生観とか価値観とかポリシーとかそういうアレ。まあこれは、「自分の大切なものについて考えてハッキリ」させた結果のことを人生観・価値観・ポリシーって言うんだからこの使い方も正しい。



数学は誰にでもできる。生物学も誰にでも勉強できる。哲学だってそうである。だがそのなかでも数学が超得意な奴は数学者と呼ばれ、生物学なら生物学者となる。そして、哲学するのがうまい、答えを出すのがうまい奴を哲人というわけだ。

「哲学って何」
「いまそうやって、考えてることさ」