概要

先日から Twitter でばりばり呟いていたとおり、野宿旅をしていた。道中はほとんど山にいた。涼しくて、野宿がしやすい。だけど一番の理由は、山が大好きだからだ。

 

山をめぐる

山には滝がある。旅の途中ではバイクを離れたくないのだけれど(これは防犯的観点によるもの)、滝ときくと立ち寄ってしまう。この滝は悪路の先にあった。むつかしい道の先に見つけたものには思い出が宿る。

湧き水。ここの湧き水を飲んで、ぼくは初めて雑味という言葉を理解できた気がした。そう、この水を飲んだとき、これまで飲んだ水すべてにあった何かが含まれていないことを感じた。おそらくそれが雑味だったのだろう。とても澄んだ味で、美味しかった。

食事回で旅の道中は外食をしないと書いた。ずっとバランス栄養食をたべる。長野で蕎麦を食べないし、宇都宮で餃子を食べないし、海沿いで海鮮を食べない。だけど水だけは各地のものを摂取している。ゆく先々で水の味が違うのを感じる。各地の水を飲むという行為は、すごくプリミティブな「経験の取得」だと思う。気に入っている。

山にある神社が好きだ。

参拝のしかたについては昔、山のなかの看板に書いてあったものを使っている。

会釈 -> 二拝 -> 二拍手 -> 一拝 -> 会釈

神社は祀る場所、寺社は修行の場という認識。素敵な寺社を見つけたときは、修行ごっこをする。

こういった痛々しい雰囲気の山道もある。

これも山だ。

そしてこれも山。美しくはあるけれど、まぁぼくのカブでは非常に苦しい。ナメクジの這うようなスピードで高低差の激しい尾根を渡っていく。だけど、進める。

うまく撮れなかったのだけれど、もっとも感動した滝のうちのひとつなので貼っておく。中央左寄りにある滝。地形のせいで至近距離まで道がつくれず、この距離からしか眺められないそうだ。なんかよい。手の届かないものにこそ憧れる。

 

そんな感じ

だけどきっとぼくが山を好きなのは、ぼくが山に属していないからだと思う。昔から、里と山の境界にいるときとくに山への憧れを感じた。でもぼくは里にいることを選んでいる。その事実は受け入れる。

 

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