親愛なるルームメイトが持ってたんで読んだ。キャラや話には特に思うところはなかったけれど、小説の作り方に感銘をうけたぜ。サマリと感想を書く。



ハンバートさんという男が主人公。かれは子供のころアナベルちゃんという子とよい仲だったんだけど、彼女は病気で亡くなってしまった。彼女との思い出は彼の心にずっとやどり続け、気付けば彼はニンフェットにしか魅せられない男になっていた。ニンフェットというのは彼の創りだした概念であり、9~14歳くらいの少女で、二倍くらい歳の離れた男を魅了する種類の生物のことだ。まあでも我らがハンバートさんはまともな人なので、それが社会的には犯罪なのを理解しており、がんばって同世代の年頃の女性を好きになるようにし、結婚もした。残念ながら最初の結婚は相手の浮気でおじゃんになってしまったんだが、奮闘したといえよう。性癖はどうしようもないもんな。そんな折に、彼は新たに見つけた下宿で理想のニンフェットを発見してしまう。下宿の主人の娘で、名をドロレス・ヘイズ、愛称ロリータである。
ハンバートさんはイケメンなので真摯に下宿の親子と付き合っていく。するとイケメンのハンバートさんはロリータの母親に見初められ、結婚を申し込まれてしまう。「いや、お前のほうかよ!」って感じである。だがこれはロリータの義父というおいしい立場を得ることにもなるということで二度目の結婚をするハンバートさん。ただロリータは世間一般的には年頃のクソ生意気な悪ガキなので、お母さんに厳しくしつけられ、寮制学校へやられることになってしまう。ざけんなってことでハンバートさんは妻をぶっ殺す計画を立てるんだが、まごまごしているうちに妻のほうが事故で亡くなることとなる。
行くあてのなくなったロリータを連れて、ハンバートさんは全米をクルマで旅する。旅のあいだふたりは肉体関係をもっていた。ハンバートさんは、バレたら施設行きだとロリータに言い含め、関係を秘密にしておく。おや、ちょっとクズ臭がしてきたぞ? やがてふたりは大学街に住み、ロリータは女学校に通うこととなる。日々成長していくロリータ。つまりニンフェットから離れていくわけで、悪い虫もつくようになり、ハンバートさんはイライラしつつも独占欲をつのらせ再び旅に出る。旅の間、不穏な影がつきまとう。どうもあとをずっとつけられているような気がするのである。ハンバートさんは警戒するが、ロリータは何者かに連れ去られてしまう。ハンバートさんは彼女を探すがとうとう見つからない。
ハンバートさんはその後リタという素敵な女性と出会い、連れ合いに選ぶ。けれどやはり、ロリータの影は彼から離れることはなかった。やがてロリータから手紙が届く。手紙の内容は彼女が結婚したことの報告と、お金の無心。ハンバートさんはぶっ飛んでいって全財産を渡しつつ、当時彼女を連れ去った者の名を聞き出す。それはロリータが唯一夢中になった男であり、劇作家のクィルティだった。彼女はクィルティを愛したが、クィルティは彼女を乱交の撮影に使おうとし、それを断ったロリータは追い出されてしまう。そのあといまの結婚に漕ぎ着けられたのである。パパは私の人生をめちゃくちゃにしたけど、彼は私の心をめちゃくちゃにしたの、とのこと。彼女はもうとてもニンフェットといえる歳でもなかったが、ハンバートさんはロリータという個人を愛していることに気づき、自分と共に来てくれと頼むがすげなく断られてしまう。彼はロリータのもとを去り、泣く。そして今度はクィルティのもとにぶっ飛んでいき、ハンバートさんは奴を撃ち殺す。
以上がハンバートさんが自ら書いた手記の内容である。



つまるところこの小説は作中作なのだな。まず内容についていくつか。

  • ガキの頃の失恋を重大な事件として扱ったり、ガキの頃の恋人を神格化する文化はやはり世界共通なんだなーと。これを読んだとき、ロリータ・コンプレックスにならびアナベル・コンプレックスというのがあってもいいんじゃないかと思ったよ。幼い頃の恋人の影を神格化する症状をさ。
  • サマリでロリータロリータ書いてるけれど、作中で彼女をロリータと呼ぶことってあんまりないのだよな。本名がドロレスで、ドリーとかローってのがニックネームとしては正当みたいだ。ロリータってのはほとんどハンバートさんの内における神の名前としてあるような感じがするな。
  • この小説内ではやたらとフランス語が使われてるが、これがなぜかはよくわからんかった。
  • ひとつの本のなかで恋愛、旅行、ミステリ、哲学などを語っており、ロードムービーみたいな趣のある小説だった。そんな中でも「ロリータへの愛」という芯が一本通っていて、読みやすい構成だったと思う。
  • 一読し終えてからタイトルの『ロリータ』という言葉をみると重みを感じる。この本はドロレス・ヘイズから分離したロリータという概念が神になる話といえるんじゃねーかな。

次に、感銘を受けた、小説の作りについて。

  • 簡単に言うと文章の作りこみが深い。俺の激烈お気に入りであるヘルマン・ヘッセの『デミアン』は話の構成はとてもグレートなんだが、文章自体は読みやすく平坦な感じだ。「伝える」ことに重きをおいてるとも言えるか。対称的に『ロリータ』は一文一文が入り組んでる印象。具体的には以下。
  • まずイディオムの言い換えなどが多い。これは俺もよくやるけど、たとえば「脱帽」の言い換えで「さすがにそれは俺も帽子を脱ぐわ」って言ったり、「膝が笑う」をもじって「膝が大爆笑してるよ?」とか言ったり、「水清ければ魚棲まず」をいじって「きみがドブ川に入ったらサカナも住めないほど澄み渡るに違いないね」とか言ったこともあったか。いやその、『ロリータ』読んでてああこの手の冗談ってすげえわかりづらいなと思いました。『ロリータ』内では、英語の慣用表現をもじったものが使われてるんだけど、まあそれは注釈なしじゃ分からん。
  • 次に、この小説は見巧者を要求する。つまり、他の小説や戯曲、音楽などの知識がないと楽しむことはおろか理解ができない文章が多い。いうなればジャーゴンか。まあ緑さんの限られた身内にしか伝わらないけど「無限大」とか「素顔同盟」みたいな奴。知らなきゃ笑えないよっていう。もしこの話が気に入っていれば、そういうものを追っていく楽しみができただろう。
  • 加えて、謎解きが散りばめられている。重要なものからささいなものまで、伏線がクソ多い。軽いものだと、ハンバートさんが突然ロリータちゃんの学友のことを薔薇のボディガードと呼び出すんだけど、これは学校の名簿でロリータの前後の子たちの名前に「ローズ」が入ってることから来ている。いやー、こりゃあ、この本の研究者は大忙しだろうなあと思ったね。

みたいな感想を親愛なるルームメイトに話したところ、「いやみどりんそんなんやるやん」とのことで全くその通りだった。とくにウェルなんかはこの本読んだら「うわあみーくん」とか言いそうで怖い。とはいえ俺が小説を気に入るのはキャラが気に入ったときだけなので、今回はとくにまあ、まあって感じだ。600ページ級は振り返るのも一苦労だよ本当。