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親愛なるルームメイトが読んでいたので興味をひかれ、俺も読んでみた。ただ内容には惹かれるところが今回はあまりなかったので、サマリと簡単な感想だけ書く。
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裕福なうちのお嬢さん、セシルは愛するやもめの父レイモン、その愛人エルザと海辺の別荘でバカンスを過ごす。三人とも似たような享楽的な性格なので楽しくやれるし、海辺ではシリルというグッドなボーイフレンドを見つけるし、サイコーのバカンスである。しかしそこへ父がふるい友人、アンヌを招待する。アンヌは超然としており規範を重んじる人物だ。セシルとは心底合わないタイプである。そんな人物と、父は再婚すると言い出す。アンヌは娘となるセシルに勉強をさせ、シリルと距離をおかせる。セシルは、このままでは自分が誘導され作り変えられてしまうと感じる。そしてこう思う、父とわたしの昔の生活を取り戻さなくてはと。セシルは父にフラれたエルザと、自分の恋人シリルを利用し陰謀を企てる。ふたりに恋人のふりをさせ、自分にフラれたことなど気にしていないエルザの様子を父に見せつければ、父はきっとふたたびエルザになびくだろうというわけだ。陰謀はうまく運び、父はエルザと会いキスをし、アンヌはそれを目にする。別荘を離れようとするアンヌをセシルは見つけ、その顔をみる。それは傷ついた泣き顔で、そのときセシルは生身の人間の心を侵してしまったことを知る。セシルは必至にアンヌを止めるも、アンヌは車で走り去ってしまう。その夜、別荘にアンヌの訃報が届く。彼女は自動車事故多発場所で死亡したという。その後セシルはシリルと別れ、父はエルザと別れ、パリへ帰る。ふたりとも新しい恋人を見つけ、もとの暮らしに戻ったが、ある感情がセシルの中に漂っていることだけが違った。ときおりその夏の暮らしのことを思い出すと、アンヌの名とともにそれが胸にこみ上げてきて、セシルはその名を呼ぶのだった。悲しみよ、こんにちは。
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この小説はつまり、セシルちゃんにとっての「悲しみ」という感情を論述するものだ。その証に、物語のはじめとさいごで変わっているものはセシルが「悲しみ」を獲得したという点だけである。セシルはステキなボーイフレンドであるシリルくんとの出会いがあったし、父レイモンにはエルザとのなんやかんやがあったにもかかわらず、結局ふたりとも物語の最後には他の誰かをみつけ、ふらふらとした生活を続けている。それは「この親子マジで頭と尻が軽いんだな…」と評価するべきものではなく、「この話は『悲しみ』にフォーカスを当てることが目的なので、ヘタに他のどーでもよい部分に変化をもたせると『悲しみ』が際立たなくなってしまう」という理屈なんじゃねーかな。
しかしこの話、心情描写がスゲー緻密で感心した。これぞ文才って感じだよな。語り手のセシルはちょっとおバカな女の子って位置づけだと思うんだけど、地の文が緻密なもんで「いやお前、ゼッテーバカじゃねーだろ!」ってツッコみっぱなしだったぜ。
ちなみに、読み終わったあと感想でも言い合おうかと思いルームメイトと喋ったんだが、奴は読了すらしておらず図書館に返却してた。うんまあ、俺たちが共感を抱くようなタイプの話ではないよな。