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まったくやべえ一冊に出会ってしまった。これほど初見で惹きつけられた本は『デミアン』以来だ。『デミアン』のときほど真剣な考察はしてない為、感じたことをしかと感想文できるか自信がないけども、まあ書いていく。サマリーと印象的だったところなどを。
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語り手の「僕」が、ぐう畜かつ偉大な芸術家ストリックランドの分析を試みるという内容だ。その材料として、過去ストリックランドと接点のあった日々のことや、ストリックランドに会った人々の話を取り上げ、時系列順に語っていく体裁になっている。
まともさだけが取り柄の、クソ退屈な男チャールズ・ストリックランドは今まで、そしてこれからも妻子と社会に尽くすロンドンの凡夫であり続けるはずだった。だがある日豹変、妻子と社会的立場を棄却しパリへ去ってしまう。「僕」が訪ねたところ、「俺はひとりで絵をかきたい。妻子? 犬にでも食わせろ」とのことである。ぐう畜。凡夫の皮を脱ぎ捨てたミスター・ストリックランドは残忍かつ身勝手な人間で、善人の画家に暴言を浴びせ、病に伏せていたところを助けてくれた人に謝辞もなく、人の奥さんを奪い、あげく捨てて自殺せしめてもなお眉ひとつ動かさないイキっぷりである。世俗的なことに興味がなく、つねに貧乏してマルセイユの底辺をさまよい、ついにタヒチを終の棲家としてハンセン病によって壮絶な最期を遂げる。
かれの絵の価値を、かれの生前に理解できたものはごくごく少数だった。が、現在かれの偉大さを認めぬものはおらず、上記の傍若無人ぶりも長所に必然的に付随するものとして容認される有り様である。とはいうものの世間に流布しているストリックランドに関する通説のだいたいは、かれが最初に捨てた妻と子供たちによる証言に拠っているようで、甚だ的を射ていないとのこと。なにせかれが芸術家としてガンバっていたのは連中の元を去った後のことであり、その後連中がかれに会うことはなかったのだから。そんなわけで「僕」が、ストリックランドの知られざるエピソードを取材して考察してみたぜ! というのが本作を書いた「僕」の経緯である。
なおこの小説はポール・ゴーギャンの生涯にヒントを得たフィクションであるが、なんかすげえノンフィクションの実録ですみたいな雰囲気を醸し出すものだから俺はついチャールズ・ストリックランドでググってしまい、村上春樹『風の歌を聴け』のデレク・ハートフィールド現象の二の舞いを演じてしまった。まったくやられた。
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冒頭で述べたように、今回の作品は随分気に入っちまった。
その理由のひとつとして、まず『デミアン』と構造が似ているってのがある。ひとりの天才(あるいは逸材)を、凡人たる語り部の目を通して描写しつつ分析するというかたちだ。俺は最初、そういった理由から、これも著者モームさんの自己分析だと思った。自己をストリックランドに投写し、自己分析・自己批判・自己憐憫の手段として語り手・聞き手としての「僕」を配置するかたちだ。けどどうも、あくまでゴーギャンをモデルにした作品らしいのよな。自己分析というよりは、ゴーギャン分析という感じ。
ふたつめは、これも『デミアン』と同じような理由だけれど、登場人物たちの哲学が俺のそれに近いこと。先に「凡人たる語り部」とは書いたが、それは観察対象である天才と比べてのことであって、一般的には十分愛すべきマイノリティのひとりだ。たとえば『月と六ペンス』の語り部「僕」は、そいつがどんな悪逆無道な奴であっても「僕を笑わせてくれる人を心底から嫌えない」、「僕と同等にやり合える相手」ならば「どれほど堕落した人間であろうと付き合うのを楽し」んでしまうという、しばしば道徳心と倫理観が留守をするパーソナリティである。
みっつめは、まあ、単純に文章が好きだ。キャラの掛け合いもクスッとくるのがあるし、あとストリックランドさんの罵詈雑言がヒドすぎて好き。テラ暴言厨。「犬にでも食わせろ!」そのくせ、絵のスキルをこつこつ磨いて頑張ってるとこもかわいい。「夜間の絵画教室に通ったのだ」。
終盤の、タヒチでの生活描写も浪漫に溢れてていい。そのぶんストリックランドが死に向かっているシーンの描写が逆に際立ってすごい。本作で一番好きな描写は、クートラ医師がストリックランドを心配して会いにいくシーンかもしれない。「栽培地に着くと、何か不安感に襲われた。」「大気に敵意が潜み、目に見えぬ力が自分の行く手をはばむような気がした。」「収穫するものもいないので、椰子の実が腐って地面に転がっている。」
あと多分これは間違いないと思うんだけど、モームさん、妻のこと嫌いだろ。作中の妻属性もった女にろくな奴がいない。俗物、浮気者、凡人である。アタちゃんというぐう天使は別だが。アタちゃんはカワイ過ぎるだろ。「アタは初めて微笑んだ。彼女の目には超人的な愛の表情があった。」
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久々に翻訳小説を読んだが、日本の小説と比べて読みやすいこと月とスッポンの如くだ。まあこれは21世紀の翻訳だから20世紀初頭の小説と比べるのはアレだが、なんだか文構成がすっきりしてる気がするんだよなー。これはモームさんがスゴイのか、訳者の行方昭夫さんがスゴイのか。
っと、一読しただけじゃさっぱり要領を得ないタイトルの『月と六ペンス』について。これは理想と現実のことだって解説に書いてあった。なるほど。妻子と裕福な生活、「六ペンス」を捨て去って「月」に向けて奔走するストリックランドと、いつまでも俗っぽいかれの最初の奥さんエミリーや、肉欲を利用してかれを繋ぎとめようとした女たちはなるほど対照的だった。