新潮文庫の『伊豆の踊子』に収録されてる短編『禽獣』について。今回もダメだった。何が言いたいのか見当くらいしかつかない。サマリーと、そこらへんの見当というのを書く。

男がタクシーで舞踊会に向かっている。舞踊会にというか知り合いの女が踊るのを二年ぶりに観に行くのだそーだ。その男がまた面倒な性格で、人付き合いを拒み、「それぞれの我というやつ」を持っていない動物とばかり触れ合っているようなタイプだ。多くの小鳥や犬を飼いそして死なせてゆくうちに、かれは人間のエゴみたいなものを感じ取り、そしてますます動物に入れ込んでいく。同時に、昔ねんごろだった冒頭の女にも未練を持っており、飼っている動物に彼女の面影をみたりもしている。彼女とは、かれが共に心中を考えたほどの仲であり、さらにその心中を押しとどめてくれた恩人でもあるのだ。そしていよいよ舞踊会に着き二年ぶりの彼女の踊りを観ると、昔はマジでパなかった彼女の踊りは「もう俗悪な媚態に過ぎな」くなっていた。かれはガックリきて、昔はよかったんだけどねえ、的な文言を諳んじ彼女をディスって、完結。
みたいなお話。勝手なやっちゃな。カギ括弧部分は引用。


まあこれは、単純に、昔ねんごろだった女の子を自分の中で神格化しちゃって、いざ実物と再会したら幻滅しちゃったみたいな「誰か」の話をメタフォライズしてるんでないか? 菊戴の死骸をずっと押入れに残しておいているのも、現実にはすでに死んでいるモノを捨てきれない、みたいな気持ちの隠喩とか。こじつけっぽいかもしらんが、そんなもんじゃないのって気がしている。そして作中で語られる「かれ」のペット遍歴は「誰か」の女性遍歴のメタファーとか。そもそもペット談義の合間合間に女性のタイプの話とかやたら挟んできとるしな。





やっぱり時代がかった文章に苦しめられる。文章を解読してるうちに話がわかんなくなっちまうんでこんな風にあらすじをメモるのが必須になっちまう。