「巡り廻る。」の二周目クリア
すなわちストーリー上のラスボスまでのハナシ。





残りの要素は
名声値・悪人プレイ・高レベル・裏ボス・大会など。
緑さんはわりに完璧主義なほうだけれど
興味のむかない要素には徹底無視を決め込むからな。
大会とか完全にスルーだ。
ポケモンでたとえるなら、コンテストらへんは確実に埃をかぶる。





ストーリークリアまでの道のりを書く。
段落分けは闇~光の時代ワンループごと。

光の巫女が闇竜を倒す
->戦争が起こる
->闇竜が復活する

三竜のダンジョンをそれぞれ抜けて三竜を倒す
->闇竜のダンジョンを抜けて闇竜を倒す
->隠し通路のダンジョンを抜けて闇の本体をしばく
->闇を復活させる
->闇竜が復活する

三竜のダンジョンをそれぞれ抜けて三竜を倒す
->闇竜のダンジョンを抜けて闇竜を倒す
->闇の玉座で絶望する
->二周目へ

二周目
->三竜のダンジョンをそれぞれ抜けて三竜を倒す
->闇竜のダンジョンを抜けて闇竜を倒す
->戦争が起こる
->闇の玉座で闇に打ち勝つ
->闇竜が復活する

三竜のダンジョンをそれぞれ抜けて三竜を倒す
->闇竜のダンジョンを抜けて闇竜を倒す
->隠し通路のダンジョンを抜けて闇の本体をしばく
->本体を破壊する(ラスボス)


なぜにくだくだとそれぞれそれぞれ書いたかといえば
このそれぞれの作業感が半端なかったからだ。
それぞれ結構長いんだぜ、このダンジョン。
この作業感、作者側も想定して作ってるよなきっと。
巡り廻ってる感が半端なかったから。




ストーリーに関して考えるコーナー。

そもそも闇ってのは
むかしの技術者が作ったパネェ魔方陣に付属する意志のこと。
陣が悪用されたらたまったもんじゃないから
陣自体に意志をもたせたった。

で、まあ、その技術者や闇の意志にとっては
闇に包まれた世界のほうを理想としていたもんで
時の勇者たちを片っ端から乗っ取って闇竜とし、
永久的な闇のシステムとしていたと。

闇竜が倒されたら、倒した奴に取り憑いて新しい闇竜に。
これは「闇竜は倒した回数だけレベルが上がる」って
ゲームシステムにも沿ってるね。

ちなみに三竜っていうのは
「魔方陣のチカラを一箇所に集めておくのは危険」
って理由から世界中に分散させられていた魔力の所産らしい。

それで本編の主人公がこれまでの勇者たちと何が違ったか。
それは隠し通路を発見し、闇の本体を見つけ出したことだよな。
これだけは闇サンにも誤算で
かなりマジ目に襲い掛かってくる。
めちゃ強かったぜ、闇の本体「希望」戦。

でもまあ結局
主人公だけじゃ魔方陣の破壊までは漕ぎ着けらんないんだよな。
それには光の巫女が必要。
とはいえ一周目じゃ巫女サンは新しい闇竜になっちゃったから
それが二周目に持ち越されたわけだけれど。
しかし巫女サンなら魔方陣を破壊できたっていうのが謎で
どういうわけなのか分からない。

陣をぶっ壊してやろうとすると襲い掛かってくるのが、
まあ、これがモノホンの本体なんだろうけれど「絶望」戦。
こいつはめちゃ強いっていうかバカ強い。

はたして闇の本体をぶち壊してやると
今度こそ世界から闇は完全に消滅し、
そのついでに各地のエレメント産出量が激減するだのして
経済危機に陥るだのなんだの。

アレ?
なんだかんだいって闇は世界中の資源を潤してたんじゃね?
主人公って余計なことしたんじゃね?
とか。

いや。
主人公が動かなかったら、光の巫女サンは闇に囚われて
いずれ別の勇者にやっつけられちゃうんだぜ。
とか。

それを考えるのは、プレイヤー次第・・・
とか。

まあそんなハナシだった。






くだくだ書いたけれど
まあ大事なのは
二周目プレイの苦手な緑さんが
この笑顔のために徹夜プレイとかしちゃったということだ。

いや、なんかわかんねーけれど
巫女サンを救ってやりたいと切に思わせる構成になってる。

あとはラスボスである希望絶望のネーミングの意味とか
闇竜には闇のアウトプット、絶望は本体というロールがあるのに
希望ってぶっちゃけいらなくね? とか
いろいろ分からないけれど、そのへんはまあいいや。

この笑顔はラスボス絶望撃破後に見られるのだけれど
ラスボス撃破後はセーブできず
ラスボス前セーブが残るようになっている。
つまり何度でもこの笑顔を見られるというわけだ。
そのへんの作者の粋なはからいを適当に賞賛して
締める。