先月、ファッション的によいとされる服を買った。ほんで突然のイメチェンに周りの連中のリアクションもよく、楽しんでいるわけだけど俺としては少々複雑な気持ちもあってだな。
俺がほんとうに自慢にしているのは、絵がうまいこととか、ひとりでギター弾けるようになったこととか、姿勢がいいこととか、運動をずっと継続できることとか、プレゼンが得意なこととか、そういうところなわけよ。そういうところに自信があるから、ファッションに興味をもたなかったところもある。何を着ていようが、本人が格好いいかどうかだろ? って感じで。なんで、服なんだ? 肉体は? 能力は? 意志は? 服よりも身体鍛えるのが先では? なぜそこを見る? よくわからない。ファッションわかんない人って、そういう人多いんじゃないか?

俺自身、人を見るとき気にするのは姿勢とか、肉が締まっているかとか、そういうところだ。服はべつに見ない。むしろパリッとした服を着ている奴を見ると、見かけにだけ金を費やして肝心の本人はスカスカなんじゃねえのかなと訝ったりするくらいだ。服なんて、お金を出したらポンとゲットできる。才覚も努力も何もないじゃん。俺がとってもホメてほしいのは、別のところなんだけどなあ。……というのが複雑な気持ちというやつだ。ファッションわかんない人って、こういう人多いんじゃないか?

まあ、そんな俺に親愛なるルームメイトは言った。「その服を選ぶことができるというのも実力のうちですよ。」うん、これには納得。 それに、隣を歩くルームメイトたちにもいい気分になってほしくてファッションをするというのは中々快い。







今回はファッションに文句を言いたかったわけでなくて、ファッションがまったくわからねえ俺からファッションが少し理解できる俺への過渡期の気分を文章にしておきたかったのだ。0から1へ移行するときの気持ちは、貴重なものだ。