概要
先日、悟りを得たひとたちに会ったときに、意識体についての詳しい話を聞いた。
この件の所感を書こう。前回には自分の感想を書いてなかったからな。
これは前回の記事の絵の下書き。
所感
意識体の話はわかりやすい
今回の話はとてもわかりやすかった。何がわかりやすいって、意識体が物理的な存在であるという点がわかりやすいよね。前回書いたように、ひとの意識体は素粒子よりも大きく分子よりも小さな粒子で構成されている。
わかりやすかったのはたぶん、ぼくが原子論になじんでいるからだ。原子論というのは言うまでもなく、あらゆるものが粒子から構成されているという考え方だ。意識体を構成しているものは原子ではないにしろ、同じ考え方で応用して理解できる。
ぼくは普段(そして皆も)、目に見えない粒子(窒素とか)がふよふよ浮いていると仮定して生活している。であれば意識体がふよふよしていると仮定しても同じことだ。
素粒子操作能力も既存の知識の延長で理解可能
またおさらいだけれど、素粒子操作能力は、意識体がほかの素粒子を動かす力だ。この力が強い意識体は意識レベルが高いと称される。ふつうは意識体が触れている部分しか……つまりは自分の body しか……動かせないが、意識レベルが高くなった暁には触れていない素粒子すら操作するらしい。
とはいえそもそも、ぼくらは普段、自らの body のすべてを操作できているわけではない。誰もが Y 字開脚できるわけもないし、にきびすら治すことはできない。意識的に動かせるのは随意筋のみだ。だから多分、意識体は body の中の随意筋を動かす神経にのみ触れているのだろう。
悟りのひとたちの弁によれば、意識体が body を介して他のものを動かすことも素粒子操作能力に含まれる。間接的に素粒子操作を行うことも能力に入るのならば、一声でビルなんかをおっ建てる大富豪は意識レベルが高いのだろうとぼくは思ったものだ。けれどそれは否定された。「それは意識レベルが低い」とのこと。
このことから、おそらく、 body も何も介さずに素粒子を操作する意識体のみが、意識レベルが高いと称されるのであろう。つまりは、錬金術やテレポーテーションを使える超能力者のことだ。
今回会った悟りのひとたちは、意識レベルを向上させ将来的には錬金術を習得するつもりのようだ。素粒子は分子を構成するものだから、それを操作すれば鉄を金にすることも可能であるとのこと。そうすれば少なくとも金銭には困らなくなり、活動がやりやすくなると言っていた。
ただここでは、「金を作るより食糧を作ってはどうか」と恐れながら提案してみた。悟りを得ているレベルのひとが資本主義社会のシステムを利用する必要なんてないと思ったし、他の動植物を食べるとカルマが上がる問題も、食糧を自作すれば解決するからだ。肉のようなものも錬金術で自作すれば、他の動物を殺すこともなくなり、カルマは溜まらなくなるだろう。悟りを得ていないひとたちですら、人造肉についてはほぼ実現させている。ならば悟りのひとたちならより早く、実現できるだろう。
嬉しいことにこの意見については検討してもらえるみたいだった。
他の動植物にもカルマはあるのか問題が気になる
これについては彼女たちの悟りもまだキャッチしていない知識であるようで、未解決の問題だ。
様々な説があるが、これについては悟り待ちだろう。もしも動植物に意識体がないとすれば、肉が食べ放題でとても助かるね。上述のカルマ問題も考える必要がなくなる。
現世の問題点はあまり気にしなくていい
悟りのひとたちは仏陀やキリストたち、および縄文時代の人々の感受性のたくましさをいたく評価し、現代人の無能力さや、現代社会を覆い尽くす資本主義システムを嘆いている。ただ、その嘆きは不適当ではないかな、と。
意識体の輪廻転生システムは現世の時間軸を超える。未来に転生することもあれば、過去に転生することもある。けれど意識体は時間を超えるのだから、彼らはぼくらの未来であることが大いにありうる。ぼくらは縄文時代のころから能力が落ちたわけではなく、これから彼らになるのだと考えられる。いまは意識体の時間軸において太古の時代にすぎない。いまが荒れていることは、何も問題じゃない。
現世のことを、彼女たちは意識体がポイントを稼ぐ修業の場だという。修業の場が荒れているのは当然のことだ。
ぼくのポイントは高そうだと悟られた
緑色さんのポイントはだいぶ高そうで、ことによっては彼女たちよりも高いかもしれないと、悟りのひとたちによって判断された。このことは助かるね。ぼくはまったく悟りを得ていないのに、それでもポイントが高いというのは、ぼくの意識体の自然な振る舞いが偶然にもポイントを貯めるタイプの振る舞いであるということだ。
悟りがスゴい
悟りはスゴいぞ。ポイントシステムの真実や、ほかの意識体の知識が皮膚を通して流れ込んでくるのが悟りだ。一番スゴいのは、悟りを得た者同士で知識が矛盾することはないという点だ。
悟りを得た彼女たちはこれから自らの弟子を増やして活動していくのだろう。そこでぼくが気になったのは、キリスト教とかのように、弟子の間で教えの解釈にズレが出て、派閥が生まれる事態になるのでは、という点だ。その懸案をそのまま投げかけてみると、悟りを得た者同士で解釈がズレることはないと言うのだ。
今回聞いた話のなかでこれが一番スゴいかもしれん。今回聞いた話がほかの悟りのひとによって否定されることはないというわけだ。
否定された個人的な考えいくつか
小市民ながら、緑色さんにもいくつか自分なりの持論がある。意識体のシステムにより、いくつかそれが否定されたから併記しておこう。
- 人も石も同じである。
- 意識など存在しないし、どれもモノであるから違いはないという考えだ。
- -> 意識体の存在により否定された。
- -> 石との違いも、意識体の有無、あるいは意識レベルの差に違いがある、という論により否定された。
- 出産は虐待である。
- 人は世界に生まれたら必ず嫌な目に遭う。そこに生み出す出産という行為は虐待であるという考えだ。
- -> ポイントを得るためには現世に来なければならない。ポイントを得たい意識体にとって出生は必要である、という論により否定された。
- -> それにくわえ意識体は時間を超えるので、結局意識体はどこかの時間軸の body に入ることになる。現世での出産を否定しても意味がない。
神のようなものには文句をいいたい
くそやろー。
ポイントを我々意識体に貯めさせるのは、太陽系全体の意識レベルを上げたいから、という説がある。だがそれならカルマシステムは廃止しろ。こいつのせいでぼくは苦しんでいる。
上述したように出産が虐待であることは否定されたが、こいつはぼくを虐待している。
総括
意識体の話は壮大で面白いのだけれども、ちょっとがっかりした感は否めない。
結局、 body が属する社会システムを超えた意識体レベルにも、システムが存在するという点にげんなりだ。これはほかの意識体を助け、ポイントを稼げる者が有利になるシステムだ。これでは、金融を理解し、資産を築いた者が有利になるシステムと変わらない。悟りのひとたちは立派だが、彼女たちはたまたま既存のシステムになじむ意識構造をしていてラッキーなのだ。たまたまコミュ力に長け、お金を稼ぐ才覚をもった人々が現世においてラッキーであるように。いじめっ子が進学したらいじめられるように。いじめていた側がいじめる側になるように。
ある一強のシステムの存在は、システムになじまない人々を蹂躙する。
ぼくはポイントも高いというし、わりと意識体のシステムにはなじむほうなのだろう。でも、変わらないなーというのがちょっと盛り下がるよな。全意識体が、様々なシステムに、自由に行き来できる世界が、 body の世界を超え、意識体の世界を超えた、その向こうにあればいいなと思う。