感想文は久しぶりになってしまったか。今回は有名な『マーニー』で、金曜ロードショーでやるというから先んじて小説を読んでみた次第だ。読んでいる最中、「この場面をジブリはどう映像化するんだろうか」とか想像できて面白かったぜ。いつもどおりサマリーと気になったところを書く。





アンナちゃんという、ぼっちの女の子が主人公。まったく人の輪に混ざれずに孤独感をかんじていて、そういうことができる連中を「中」の人間、それができない自分は「外」の人間だと考えている。彼女の養母ミセス・プレストンは心配して、アンナにガッコを休ませ、リトル・オーバートンの昔なじみ、ペグ夫妻のところで一夏過ごさせることにする。
リトル・オーバートンでも持ち前の社交性欠如でもって不和を生んじゃったりして、お前、この短時間でよくこれだけ人間関係トラブルを抱え込めるな……といった感じでふらふらと歩きまわるアンナだが、あるときマーニーという同年代くらいの子と友達になる。珍しくセンスの通じるところがあって打ち解けあい、町でのイザやコザも気にならなくなってワーイなアンナちゃんである。
別れは突然おとずれた。マーニーは家のひとにどこかへやられてしまうとアンナに告げ、いなくなってしまう。そしてマーニーの家だった大きな屋敷は、だいぶ前から空き家で、マーニーの家族なんてものは最初からなかったと人から知らされる。
その空き家には新しい家族、リンジー一家が引っ越してくる。マーニーがいなくなったことを大いに悲しんだけれど、かわりに前よりもずっと社交的になっていたアンナは、その一家ととても仲良くなる。あるときリンジー家の娘プリシラがアンナに、屋敷で発見したというマーニーの日記を見せてくれる。その日記は50年くらい前のものだったが、そこに書かれていたことはアンナがマーニーと過ごした日々に酷似していた。
当時をしる女性ギリーさんによると、マーニーの人生はなかなか切ないものだった。小さいころは使用人たちにいじめられ両親にはネグレクトを受け、遠い親戚のエドワードさんと結婚するも戦争で死んでしまい、娘のエズミちゃんとはうまくやれなかったあげく事故で亡くしてしまい、エズミの娘マリアンナの面倒をみている最中に体を壊し死去したという。マーニーが死んでしまったのでマリアンナは施設に入れられたが、じきに親切な夫婦に引き取られた。夫婦はマリアンナを本当の娘だと思いたかったので、名前をすこし変えたのだった。アンナ、と。
リトル・オーバートンからロンドンに帰るときがやってくるころ、アンナは「外」でひとりで歩いていた。ただしもう彼女は、「外」か「中」かという問題は、友達がいるかとか家族がいるかとかそういうこととは関係ないということや、そういう問題は自分の「中」の気持ち次第なのだと知っていた。


文章について
    読み始めてすぐにこの話に好感をもった。たぶん、文章の品がいいからだろうか? とか思っていたのだけれど、訳者のあとがきに「詩情を込めて書きだ」した作品だと書かれておりこれだと思った。詩情、この文章から感じるものを確かに表現する熟語だ。
アンナについて
    青い、という印象が強い。「外」「中」という観点はとてもよくわかるが、自分が「外」の人間だと考えているところが甘い。「自分が『外』」というのは、他の連中が群れていることを羨ましく思っている奴が感じることだ。人のことなんか構わない、といいつつ人に心を振り回されているシーンもよく見られ、未熟だと感じた。
    マーニーと付き合っているうちにその傾向は薄くなっていくけれど、これがアンナの成長をメタフォライズしているのだろう。自分にとって大事なものがわかると、他のことで心を振り回されることは少なくなっていくものだ。
マーニーについて
    最初のころは、幽霊かな? と思っていた。やたら神出鬼没だから。結局マーニーのことは、白昼夢なのか、タイムスリップなのか原作を読んだだけでは判別つかなかった。でもそこは映画がひとつの可能性を示唆していた。これは映画の項にゆずる。
サンドラについて
    原作では、アンナにたいし態度が悪いところもあるが最初は友達になろうとしていたから悪い子ではないだろうし、まあその、アンナちゃんという変わり者と関わってしまって災難だったねといった感じだ。映画じゃマジいい奴だったな。映画は同居人と共に観たのだが、「あの喧嘩のおさめかたは中々できるものじゃねーよな…」「人間できてるわね…」と人間できてないふたりで絶賛だった。
全体について
    アンナちゃんの成長のきっかけを描いた話だろう。成長という言い方が引っかかるのであれば、「次のフェイズへの移行」か。俺はこっちのほうがしっくりくる。前と後でどっちが良いというハナシではないからな。
    もともと本当の家族と死に別れたことで「見捨てられた」と感じていて、養母とも養子手当が原因で壁があり、孤独を感じていたアンナちゃんが、マーニーという大事なものを自分の中に据えることで心を強固にしつつ、見捨てられたと思っていたバーちゃんにも、そして養母さんにも本当に愛されていたと理解して一皮むけたというのが全体のサマリーだろう。
    しかしネタバレを知らないまま小説を読めてよかった。まさかミステリー要素のあるお話だったとは。アンナの出生が明かされたときには鳥肌が立ってしまったぜ本当。
映画について
    俺「に、日本じゃん!?」同居人「おもいっきり日本だね…」
    だいぶ省略されていたし、原作知らなかったらワケわかんねーんじゃねーか、これ? とか思いながらの(原作びいきと見られても仕方ないレベルの)観賞だったけれど、マーニーのまぼろしに関してのひとつの解釈をしっかり示唆してくれていて感心した。幼少期にマーニーおばあちゃんの昔話をベッドで聞いていたリトルアンナちゃんは、原風景であるところの湿地屋敷を目撃したことで昔話を無意識下で思い出し、それに基づきマーニー以外の登場人物に自分を重ねあわせ白昼夢をみていたという筋書きか。映画版でのアンナちゃんは超行き倒れ系女子として名を馳せそうな勢いだったが、原作ではそのへんがもうちょっと自然に描かれているので、白昼夢とタイムスリップでは後者のほうが若干可能性がありそうに見えてたんだよな。ともかく、とても楽しめたぜ。
マーニーにペグ夫妻のことを尋ねられたとき全然思い出せない問題について
    これなんだがはっきりいってよくわからん。原作には二度ほどこういうシーンがあるし、映画でもエラい不穏な描写がされていた箇所だ。まあ多分、これは幻の中での話なので、自分にとってたいして重要じゃないことは思い出せないということなのだろう。ペグさん達はどえらく良い人たちなので、ちょっとあんまりだとは思うが前半のアンナちゃんは頭のキャパが小さそうなのでやんぬるかなであろう。


きっとアンナちゃんは強い奴になるだろうと思う。自分がいちばんつらい時期に、自分の力で乗り越えたという実感はそれほどに強い。まあ、気づいたのは自分の力とはいえ彼女がつかんだ幸福は他の人たちに依るものだから、穏やかな強さになっちゃうと思うけれど。