知り合いとの会話に出てきたんで読んだ。サマリと感想を書く。



32歳のチャーリイ・ゴードンさんは知的障害者だ。だけど頭がよくなることへのモチベーションは非常に高く、ビークマン大学で行われている知能上昇研究に被験者として協力していた。脳手術と学習カリキュラムを受けたチャーリイさんはものすごい速度で知能を上げていき、20か国語と複数の学問をソッコーで習得するようなレベルのIQにまで登りつめる。
するとビックリするのがまず周囲の人々の反応である。頭がよくなればみんなに好きになってもらえると思っていたチャーリイだが、周りの反応は知的劣等感からくる敵対心がほとんどであった。そして知能や学問では解決できない問題が世の中にはたくさんあること。過去母親にきつく折檻された経験がコンプレックスとなり、女性とのセックスができないこと。
しかし何よりチャーリイのストレスとなったのが、知能の上がる前のチャーリイが人間扱いされていないことだった。そういう発言をきくたびに、彼は「ぼくは人間だ。手術の前だって、ぼくは存在していたんだ」と心のなかで叫ぶ。そしてとうとう行方をくらまし自分探し的な生活をはじめる。その中でチャーリイは、「吾を信じる」ことを知り、家族との再開をし、知的障害に関する独自の研究を行うため、大学に舞い戻る。
彼は自分に施術をした教授陣の研究の欠陥を発見する。今回の施術ではチャーリイ命名するところの「アルジャーノン・ゴードン効果」が発生し、人為的に誘発された知能はその増大量に比例する速度で低下することがわかったのだ。ガンガン低下するチャーリイの知能。今のチャーリイが失われていくのを見て、周りの人々は悲しむ。これ以上みなを悲しませたくないと願うチャーリイは、自らの意思で養護学校へ入ることにするのだった。



文体について。
この本は全編通してチャーリイ自身の経過報告書の体裁をとっているのだけど、チャーリイの知能が低いころの文章が、読みづらくて読みづらくて難儀した。しかし知能上昇に従って単語が正確になり、句読点を使うようになり、感嘆符を使うようになるとめきめき読みやすくなり、びっくり。やっぱ知能と文章力は比例するんだなあと。

知能上昇にともなう周囲の反応について。
白痴であったチャーリイに知能を追い越されることで、周囲の連中が劣等感と敵対心をもつって話だったけど、まあこれはしょうがないよなー。知能の上がりだした頃のチャーリイもチャーリイで、天然で「えっこんなのも分かんないの、嘘でしょ!?」みたいなのを連発してたしさ。キニアン先生の「違う! わたしが毎日、ばかになっていくわけじゃない! チャーリイがどんどん進歩しているので、まるでわたしが後退しているように見えるだけなのよ!」みたいな叫びからは恐怖が伝わってきてよかった。それに続く「あなたが何かを説明してくれて、あたしにそれが覚えられないと、あたしが興味がないから、そうする気がないんだと考える。でもあなたは知らないのよ、あなたが帰ったあと、どれほどあたしが苦しんでいるか」は、優秀な人は一度は言われたことがあるんじゃないかな。できる奴は、できない奴がどうしてできないのかわからないってやつ。

同僚の詐欺を見逃すかどうかの決断。
知能の上がったチャーリイには、パン屋の同僚がちょっとした横領をしていることに気付いてしまう。店長に恩があるからそれはやめさせたいが、同僚にも生活があるので、それを自分が潰してしまうのもどうなんだろう、みたいな悩みをチャーリイはもつことになる。知能が上がっても、その答えが出ることはなかった。キニアン先生の言葉「あなた自身で答えを見つけなきゃいけない……正しい行為が直感できるようでなければ」によって、突如チャーリイは「吾を信じる」ということを悟る。このシーンは、読んでるこちらにも、チャーリイの前にたれこめていたもやがいっぺんに晴れるのが伝わってきてグッドだった。きっと俺にもこういう瞬間があったと思う。他人の価値観に左右されることはない、自分の中にあるものに従えばよいのだとひらめく瞬間だ。

知能の上がる前のチャーリイが人間扱いされていないことについて。
まあこれは、人間であるか人間でないかの基準に「知能」だけを採用してる考え方だよな。それに反発したチャーリイが打ち出した意見が、「人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもない」だ。人間を人間たらしめているものは知能だけじゃないってことかな。このへんについて俺はあんまり興味ない。人間が人間である基準などについてはあんまり興味ない。言葉なんてのは喋ってる連中にとって都合のいい呼称にすぎない。答えのないものについて答えを出そうとすることはマヌケだ。そのことはチャーリイ自身が本編で言ってる。以下の部分だ。

チャーリイさんのとっても完璧なライフハック。
  • ここ二日間、袋小路。収穫皆無。どこかで曲がり角を間違えたのだ。(…中略…)この精神活動の停止が私をひどく悩ませることはない。怖気づいたり、断念したり(もっと悪いのは、あるはずのない答をやみくもに求めたり)するかわりに、しばらくこの問題から心をそらしてほうっておくことにした。意識のレベルではなしうるかぎりのところまで到達したのだから、あとは意識化の神秘的な働きにまかせよう。

アルジャーノンについて。
『アルジャーノンに花束を』って結構有名じゃん? タイトルだけは知ってたわけよ。で、ずっとアルジャーノンって、線の細い女の子で、白いワンピースを着てて、麦わら帽子を被ってて、草原を軽やかに歩いてるような奴なんだろうと思ってたんだって。したら全然違うのな。ネズミの名前だったんだよ! しかもオス! この小説で一番びっくりした。

昔学校の授業で短編小説を書こうってのがあって、俺がトップ評価を得たことがある。あんときは嬉しかったなー。それでその内容が、脳手術を題材にしたSFものだった。だからちょっと共感を覚えたぜ。