今回はちょっと分かったかもしれん。サマリーと感想を書く。

肺尖カタル持ちの青年が主人公。彼は筆舌に尽くしがたい、よくわからない「不吉な塊」に苛まれながら生活している。それは死への不安とかそういうのとはちょっと違くて、とにかく、よくわからないイヤな感じらしい。このイヤな感じは従来彼が興じていた音楽や絵画、詩歌をもってしても晴らされることはなかった。そんな風に鬱々と過ごしていたんだが、あるとき散歩中に果物屋でレモンを見かけ、なぜだか突然ハートをガッチリ掴まれてそれを購入。ウキウキなテンションで前から好きだった本屋に入るんだが、これまた突然テンションが下がってくる。そこでひとつの遊びを思いつく。本を適当に積み上げて、その上にレモンを置いてみるというものだ。かれはとっととズラかり、外に出てまたひとつの遊びを思いつく。さっき置いたレモンが手榴弾であり、本屋が大爆発するという妄想である。そうすると何かしらんがスカッとしてハッピー♪ ウキウキな主人公は街を下っていきましたとさ。
というようなモノホンのガイキチのお話


「不吉な塊」って何? 何でレモンにハートキャッチされたの? お店に超迷惑なあの遊びは何なの? という三項目を考えてみる。

不吉な塊ってのは将来に関する漠然とした不安だろう。問題を解決するには、まず何が問題なのかを脳内できちんと文章化する作業がいる。数学の文章題で、問題文が文字化けしてたら困るであろう。問題の文章化ができてないっていうのはそういう状態だ。これはまあよくあることであって、特に悩み多き青春時代にはみなさんも苛まれたことであろう。(大人になってくると悩みが形而下のものになってくるからこういった「何がヤバいのかよくわからないがとにかくヤバい気がする」みたいな状況は減ってくる。)結局主人公が具体的に何を不安がっているのかは分からないが、病気による死とか死ぬ前に何か遺したいとか、でも借金もあるからそれもなんとかしないと、みたいな問題がごちゃ混ざったものじゃないか。
そんな「具体性がまったくない何か」に悩んでる主人公は、何か形あるものを求めている。予定が立てこんでくるとスケジュール帳に整理したくなるであろう。そんな感じだ。ただ彼の場合「立てこんでいる」のが何なのか分からないから困ってるわけだ。そこでレモンを見つける。買ったとき彼は「つまりはこの重さなんだな。その重さこと常々尋ねあぐんでいたもの」だと感じている。この「重さ」ってのがこいつの「形ない悩み」へのアンチテーゼなんだろう。ちなみに日頃彼が親しんでいた本とかがレモンに代われないのは、目新しくないからじゃないかな。日頃親しんでいない、目新しいレモンだったからこそ「新たな解決策」と感じることができたんじゃない。(ちゃんと本文中にも「その果物屋にレモンが入るのは珍しい」みたいなことが書いてある。)いや現実的にはレモンを買ったからってどうなるのって感じなんだが、まあこれはあれですよ、気分がふさいだら部屋の模様替えをするのと同じようなもんだと思う。ストレス抱えた女の子が買物依存症になるのと同じ原理。
そしてウキウキ気分で本屋に入るわけだけど、再び気がふさいでしまう。これは多分、その本屋ってのが、悩みもなく元気だった頃の自分を思い出させるからじゃねーかなー。くそう俺はこんなに苦しんでるのに、みたいな。お店に超迷惑なあの遊びについてだが、これはまあ、よくわからない悩みはよくわからない楽しみで紛らわせろってことでいいんじゃねーのかな。俺はこうやって文学作品とかを理詰めで考察しているが、そんな文章よりも「なんかわからんがすごいよw」って方が伝わる場合もあるだろう。ちなみに俺も形のない不安に襲われたときは、酒を飲んでコメディを観て爆笑したり、ウサギになって床を跳ねまわって紛らわせたりしている。よくわからないことはよくわからないことで対処するしかないのだ。

つまり「鬱々してるときはこれだッと言えるものが欲しくなるよね~だけどそううまくはいかないよね~そんなときはあえてキチガイになって遊んでみるとスカッとするよ」みたいに、形のないものとの付き合い方を描いてる話なんじゃないかな。


実際にそういう状況に陥ったときはとりあえず落ち着いて、問題をひとつひとつ整理していけばいい。重さのないものに重さをもたせよう。