緑さんはいつも「論理論理」「論理的に…」「感情論なんてのは論理的な説明ができない奴が感情論もまた立派な論理のひとつですって言い訳するための駄々じゃねーか死ね」と言っていて毎度毎度ブチ切れられ、しまいには冷血だの言われのない悪口をいわれている(言うまでもなく俺のハートはつねに熱く燃えている)。だがそんな風に悪口を言われてしまうくらいなら反論方法を教えてしまおうということで、論理の否定のしかたを書く。

論理といえど、無数の論拠のない思い込みや決め付けにしか基いていない。先日あるアベックの口論を聞いた。女「あんたの友達、お金にだらしなさすぎる。私やあんたがヘルプしてあげたお金も、どーでもいいことに使い込んでるじゃない。かれらと縁を切ってよ」。男「俺はそのていどのこと構わないし、縁を切るなんてやだよ」。とりあえずここで
1. 女の主張を男が認める。
2. 男の主張を男が認める。
3. まあまあ冷静になって妥協点を見つける。
という選択肢ができる。ここで、「1.はありえねえだろ緑お前バカか?」という意見を考えてみる。実はそいつはシンナー中毒で脳味噌がサワークリームのようにとろけてるクズで、普通の論理的思考ができないのである。が、そんなことは問題じゃない。「普通の論理的思考」。ここでもう、論理なんてものは常識と一般的観念の上になりたっている非常に危ういものになっている。そのサワークリームクズがたとえamazonに勤めるキャリア・ウーマンでも関係ない。「まあみんなこう言えば納得するだろうし」程度の正当性しかないのである。俺は毎度毎度そういう、薄氷の上でトリプル・アクセルをキメるような方法で議論をしているのだ。
俺もだけど、ヒトは簡単に「これは自明のことだが」とか抜かす。自明ってなんだよ。証明しなくても分かることって意味だが、証明しないで証明されることなんて何一つないのだ。
だからつまり、お前論理論理エラそうに言ってるが、そんなもん、その程度じゃねーかというわけである。



それを踏まえて。論理的思考というのは何かについて書く。論理的思考というのは、前提を積み上げていき、前提の上に結論をおく行為だ。とりあえず「1+1=2になる」とか「平面上に二本の絶対交わらない平行線をひくことができる」とか前提を積んでこさえたのが数学だったり(こういうのは公理とか呼ばれてた気がするが俺は数学ができないし知らん)、「神様はいる」という前提のうえにこさえたのが宗教だったりする。
だから他人と議論するときは相手と自分の前提を固定するために相手のハナシを聞かないといかん。ヒトのハナシを遮ったりする奴はシンナー中毒とレベルが同じだから話さなくてよい。サワークリームとお喋りしてどうする。ぬいぐるみとお喋りするのはいいにしてもな(楽しいよあれ)。
「世界の限界は言葉の限界」って考え方があるが、それはこのへんに起因する。頭のなかで「前提」として固定できないものは俺らからしたら世界として認識できないってこと。



これに関して論理厨の緑さんはどうするのかってハナシだけれど、ぶっちゃけそんな問題提起を受ける機会はない。誰かと議論してる場合、相手だって答えを出したいのだから。議論は喧嘩じゃなくて共同作業。それに、まあ、当然だけれどこのテの反論ってブーメランだし。