野宿旅中に読了した本その2。読んでいるときに書いたサマリメモとかがざっくばらんすぎて解読が面倒で、まごまごしているうちに日が過ぎてしまっていた。それに長いんだよなこの話は。とはいえサマリと感想を書く。






主人公の「私」は腕のいい肖像画家だ。でも肖像画に別に興味はなくて、熱意もない。そんな彼、奥さんに突然別れを告げられる。もうほかに付き合っている人はいるそうだ。「私」は混乱しプジョーに乗り込みそのまま放浪の旅に出てしまう。仕事もやめる。

一ヶ月半放浪した後、友達の雨田くん所有の一軒家を貸してもらう。この家は雨田くんパパが住んでたとこだ。この家の屋根裏で「私」『騎士団長殺し』を見つける。騎士団長が刺殺されている荒々しい日本画で、観るものの心を深いところで震わせる絵だった。雨田パパは日本画の大家で、この絵は明らかに彼の作品。けれどなぜこんなところに隠されていたのか、なぜ騎士団長殺しという名なのか? なんかはじっこに、マンホールのような穴から顔を出している男がいるんだが何者なのか? すべては謎だった。

そんな折、近所に住む免色さんから肖像画の依頼が入る。彼はリッチで、ジャガーに乗っていて、洗練されたふるまいの白髪の紳士だ。「私」としては今陥っている停滞から抜け出したかったし、そのための刺激が必要だと思っていたところなので依頼を受けることにする。

ある夜、家のそばの祠の裏の石の下から鈴の音が聞こえてくる。免色さんにもそれは聞こえて、幻聴ではないと判明。石を撤去してみると、そこは無人で鈴だけがあった。鈴は回収したが、今度はそれがまた鳴り出し絵の騎士団長と同じ姿をした小さなイデアが登場してしまった。なんてファンタジー。

免色さんの絵は、雨に濡れた雑木林の緑色、退廃のオレンジ、免色さんの白髪の白で完成した。肖像画の体裁はなしていなかったが免色さんは心から感心し、記念の夕食会を催した。夕食会で免色さんはすげえことを打ち明ける。近所に住む中学生が実は自分の娘である可能性があり、いつも彼女を覗いているというのだ。そして彼女の肖像画の依頼を「私」に依頼する。騎士団長のイデアの助言で、「私」はその返事を保留する。

「私」は放浪中に見かけた、スバル・フォレスターに乗った男のことを思い出し、彼の絵を描いてみようと思い立つ。順調に見えた作業だが、ある地点をもって絵が「これ以上何も触るな」「私を絵にするんじゃない」と訴えかけてきている気がし、そこで筆を置く。

「私」免色さんの次の依頼を受けることにする。完成した肖像画をどうするかの判断だけは保留したままにして……。その中学生はまりえといった。彼女がモデルのため家にきてスバル・フォレスターの男の未完成の絵をみると「もうこのままでいい」と言う。『騎士団長殺し』をみると「何かを訴えかけている。鳥が檻から出たがってるみたい」と言う。

雨田くん雨田パパの詳しい情報を聞いてみると、なかなか壮絶な過去が明らかになった。雨田パパはウィーンで絵の勉強をしていたが、ナチに恋人を殺され、自身も二ヶ月拷問された。弟は手違いで戦争に送られ、上官に腹を蹴飛ばされ、捕虜の首を切らされ、帰国後に自殺した。続けざまに大事な人を失ったことで雨田パパは無力感と絶望感を感じ、実際にできなかったことを『騎士団長殺し』に描いたのだろうと「私」は推測する。

あと雨田くんから元奥さんが妊娠していることを告げられる。きみには言いづらいことだが、と気遣ってくれるナイスガイ雨田だけど、「私」にはひとつ思うところがあった。彼女が妊娠したであろう時期に、リアルな夢をみたのだ。そのとき彼は彼女に射精した。だからその妊娠は自分の子なのではないだろうか。(村上春樹をたくさん読んでなければ「お前どうした?」となるところ。)

まりえの肖像画も順調なある日、まりえが行方不明になる。捜索に追われるさなか、雨田くんパパのお見舞いに一緒にくるかと誘ってくる。いやそんな場合では、という感じだが、騎士団長のイデアの助言で行くことにする。病室でイデアは自分を『騎士団長殺し』の絵のように刺し殺せと言い出す。「開かれた環はどこかでとじられなくてはならない」と言うのだ。言うようにすると絵と同じようにマンホールのような穴から男が顔を出した。

その穴、メタファー通路には川が流れており、「私」はその水を飲む。顔のない男がそこで渡し守をしており、川を渡る。がんばって通路を抜けると、そこは祠の裏の石の下の穴だった。病室へ行った日から3日がたっており、しかも病室からここまでワープしたことになる。だが行方不明だったまりえは帰ってきた。

まりえはこの3日間、免色さんの家に忍び込んでいたのだという。まりえ免色さんのことを胡散臭いと思っており、素性を調べてやろうとしていたのだ。忍び込めたはいいものの家のセキュリティや雀蜂に阻まれて出られなくなってしまった。だがどうにか貯蔵庫のミネラルウォーターとクラッカー、チョコレートで生き延びることができたのだ。

ふたりは協力して絵を家の屋根裏に隠した。『騎士団長殺し』とスバル・フォレスターの男の絵だ。まりえの肖像画は免色さんに渡さず、まりえに贈呈することになった。免色は承諾し、それ以後「私」にあまり接触してこなくなった。「私」は別れ以降まったく話さなかった元奥さんときちんと話をする決意をする。

元奥さんはなぜだか子供の親権を不倫相手に渡す気になれず、すでに別れていた。そしてできるなら「私」とやりなおしたいとのこと。子供をむろと名付け、ふたりはもとに戻ることになった。



免色さんがカッコイイ。主人公は事実を受け入れ、向かい合い乗り越えていくが、免色さんは曖昧な可能性のバランスの上に自分の人生を成り立たせている。どこへも行けず、ただ自分の宮殿だけを……物理的な意味でも、精神的な意味でも……静謐に保つだけだ。そういうのは好みだ。まりえが屋敷に忍び込んだとき、そのあまりの整頓され清潔にキープされたさまを見て彼女は「免色さんという人には間違いなく何かしらおかしなところがある」「この人と生活をともにすることはとてもできそうにない」とボロクソに言うけれど、ぼくは最高だと思った。あまりに素敵な描写なのでページをちぎりとって持ち帰りたかった(図書館だからそれはできなかった)。免色さんの描写を観るためだけに、文庫版が出たら買ってしまうかもしらない。

この主人公は長い停滞のなかにいる。わかりやすいのは奥さんと向かい合うことをずっと保留していることだ。別れを切り出されてからソッコー車に乗り込んで東北へすっ飛んでいくのは天晴な逃避っぷりだよな。野宿旅ちゅうにこれを読んだ緑さんがシンパを感じたのは当然だ。そして小田原の一軒家でいろいろな経験をして、最後には向かい合うことにしてハッピーエンドとなるわけだけど……きっかけになったのはたくさんの経験というより、時間って気がする。どこかで主人公が「時間を味方につけなければならない」と語っていた。このお話っていろいろわちゃわちゃしているけれど、主人公がつねにのんびりしていて、あせっていないのを感じる。もちろん、能力や金銭に差し迫った不自由をしていないからなんだけれど。

けれどともかくゆっくりと過ごして、すこし刺激が必要と思ったら仕事をはじめて、人と付き合って、時がきたという段になって動き出す。そういうのが「時間を味方につける」ってことだと思う。眼の前にあることにだけ、しっかり向かい合えばいい。メタファー通路を越えたあとに主人公が風呂に入り石鹸で身体を洗って着替え、礼儀正しく現実の世界に向き合うことを決意するシーンがある。そう、その時がきたらその時に適したことをすればいいのだ。それと同じように、いつかスバル・フォレスターの男の絵を主人公は完成させるつもりでいる。でもあせらない。身の回りのすべてのことの完結を急ぐ必要はなくて、自分に用意ができ、世界が自分を受け入れてくれるときに踏み出せばいい。

今回の村上春樹はすごく丁寧に情報が描かれていて、ぼくでも考察すれば何がどうメタファーに絡んでいるのかわかりそうなものだった。だけれどぼくがこの本から受け取ったものを素直に述べるとすれば、そんなところだなー。

ところで最近普通免許を手にしてからクルマにちょっと興味が出ている。その影響か、免許取得前には毛ほども気にしなかったであろう、今作品に出てくるクルマたちのことをよく覚えている(というよりきっちりメモがしてある)。主人公のプジョーとカローラワゴン、免色さんのジャガー。ボルボとかプリウスとか。興味が移ろうと多くのものが見えてくるよな。年を経て同じ本を読むと感想が変わるのとおなじ理屈。

ううーむ。これは長くなっちまったなあ。