緑さんは漫画をかいてる

この漫画が完結した。

この漫画のストーリーは、俺のガキのころの夢想が元ネタになっている。リトルみどりんは電車で何をするでもなく立っていたり、何もない道を延々と歩いたりするのがちと苦痛だった。だから夢想を始めた。楽しめた。電車で何をするでもなく立つのや、何もない道を延々と歩くのが楽しみになった。あるとき、その夢想をかたちに残しておくか、と思い立った。将来には黒歴史となるかもしれないが、いまの誇り高き俺はあらゆる黒歴史が積み重なってできているんだし。この新しい趣味は成功だった。ふっと湧いた空き時間にすぐに取り掛かれる趣味があることは、精神衛生上とてもいいことに気づいた。

誰に見せるつもりもないので、テキトーな絵でざっくざっく書いていった。誰かに見られたらチョット恥ずかしいな、って気持ちもあったのでかんたんに読めないよう台詞は全部英語で書いていった。擬音も全部英語で書いてたのだけど、擬音が英語だと、読み返したときあんまりおもしろくないことに気づいた。途中から、擬音だけはひらがなで書くようになった。やがて、「自分の創作物を他人に見られるのが恥ずかしい」という思春期は終わった。だけど、この漫画は人には見せられなかった。というのも、漫画には知り合いがモデルのキャラクタがたくさん出てくるんだけど、彼らが(見方によっては)酷い目に遭うこともあるからだ。気分を害してしまうかもしれない。漫画はクロッキー帳に50ページを超え、100ページを超え、200ページを超えた。

俺の愛用は100ページのクロッキー帳だけど、普段使いと兼用だから、一冊につき100ページぎっしり書けるわけじゃない。50から80ページくらいかな。最終的に漫画は4冊に渡った。何もない道を歩いている最中に夢想する習慣はだんだんなくなっていった。原因はわからないけれど、視野が広くなって、趣味が増えたからだと思う。アニメのストーリーが原作に追いつくみたいに、漫画の進みが夢想に追いつくときがきた。漫画をかこうと思ったら、お話をその場で考えないといけなくなった。それまでは、「実際にあったことを記録している」という思いが強かった。それが「創作をしている」という思いに変わった。そうすると、やけにモチベーションが下がるのを感じた。漫画は話の中途半端なところで止まっていた。続きを書きたいな、と思って2、3コマ書いてやめることが続いた。長いこと漫画をかかなくなった。でも、だんだんと、俺自身がその話の続きが気になるようになってきた。というより、長いこと見てきた登場人物たちがこの先どうなるのか、気になってきた。ある日突然、彼らがどうなるのかわかった。それがつい先日のことで、あっという間に最後まで書き上げてしまった。

最初から読み返してみて、お話の年表みたいなものを書いてみたら1ページがぎっしり埋まってしまった。達成感がある。夢想をかたちに残しておくか、と思い立った過去の俺にありがとうを言いたい。きみはすごい。