まほろばってタイトルと緑色の表紙に惹かれて読んだ。まほろばってのは俺がガキのころ取り組んでいたプロジェクトの名前なのだよ。サマリと感想を書く。



時は大化の改新。場所は朝廷。蘇我氏に滅ぼされた物部氏の生き残り、広足(ひろたり)ちゃんは料理が上手な女の子。料理が上手っていうけど、それがまた神懸った上手さなんだ。その料理の腕に目をつけた美しい験者、賀茂役小角(おづぬ)さんは彼女を弟子にとる。広足ちゃんとしては、師匠はめっちゃカッコイイ術師だし、山での神様たちに囲まれての生活は長閑で充実だし、とっても満足だ。
が、世間はというと中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼし、各地に大道を敷き、野も山も統一しちまおうと動いており大わらわだ。山の民はそんなこと勝手に推し進められてはたまったもんじゃねーから、山と朝廷の確執は深まるばかり。そんな中、里には人食い鬼が出て、山には神喰いなるバケモンが出やがる。互いに「山の差し金だ!」「朝廷の差し金だ!」と一触即発の雰囲気になってしまう。
そこで立ち上がるは我らが小角師匠である。手始めに神喰いを待ち伏せて正体の見当をつけ、鬼の住処に入って人食い鬼の事情を調べ上げた。事の次第がわかったので朝廷へ行ってみると、賀茂の族長である大蔵さんが中大兄皇子をだまくらかして山と山の民に関する全権を頂戴しようとしているところだった。そう、この大蔵こそは鬼をだまくらかして人を食わせ、神を食って山と里の関係を悪化させ、ドサクサに紛れて力と権力を得ようとしていたクソ野郎なのである。小角師匠は神たちと共に大蔵を取り囲んで撃退した。
だけどぶっちゃけ全てが大蔵さんのせいってわけでもないだろう。そもそも山を手中に収めようなんて中大兄皇子と中臣鎌足が言い出したからこんなことになってるのだ。小角師匠はここぞとばかりに「今後山に手を出さないように」と申し出るが、皇子は「天の下にあるものはすべて国の一部だ」と話をきかねー。平行線のまま事件はとりあえず終結を迎えたとさ。



気に入ったくだりを以下に。

広足ちゃんのお料理シーンが好き。
  • 星灯りを頼りに石を打ち、持ってきた木屑を使って火を起こす。呪を唱えつつ水を清めて米を炊き、そこに鹿と山鳥の干し肉を入れ、最後に葱を刻んで彩りを添えた。
  • 「さて、作るか!」蕨、葛、いたどり、鱈などは一口大に切って醤で和えたものに山椒の葉をあしらう。大鍋に菜種油を満たし、大きな竈にかける。米と麦を石臼でひいたものを様々な形に整えていく。純白の生地が熱い油の中で心地よい音を立てる。
広足に呪禁を教えてくれない小角師匠。
  • 「人にはその身にあった働き場所というのがある。お前の作る食事は素晴らしいものだし、それは私の術になんら劣らない」。
  • 「一つ何かを為すことができれば、全てはその応用でしかないんだよ」。
    • 同感だ。何かひとつに絶対の自信がある奴はどこでも堂々としてるものだ。逆に、どんな分野でも負けず嫌いだなんて奴は、どんな分野でも自信がないってことになるんじゃねーかな? だけどさ、呪禁くらい教えてやれよ! 「一つ何かを為すことができれば」の理論はむしろ、「何か一つをやりきれる奴は何でもきっちりやれる」ってことだと俺は思うんだが。
小角師匠の山好きをばっさり言い換える広足ちゃん。
  • 「山を走り、岩に座り、古き者たちと心を交わすことが喜びだった。だから私は山を敬し、そこで時を過ごすことに決めた。」「俗世がおいやだったんですね。」「平たく言うとそういうことなんだろうな」。
ベジタリアンの小角師匠。
  • 「食えば調子が悪くなるとわかっているものを、何も好んで食うことはない」。
中大兄皇子の資質と、それを評価する中臣鎌足。
  • 「多くの死を見なければならない。敗れし者の死には向き合っていかねばならぬ」。立派だ。天皇たる者に必要な仁慈を生まれながらにして持っている。
    • 中臣鎌足が中大兄皇子の右腕にして一番のファン、っていうのがよかったよな。
結末について。
  • 小角と中大兄皇子の思想戦はドローに終わるかたちだったけど、それを大海人皇子がうまくまとめてくれたな。終始「なんじゃこの小僧は」と思わせてくれる大海人だったけど、最終的に「山も里も見た統治者」という立ち位置に収まるための存在だったんだね。

ストーリーとかキャラに思い入れはまったくできなかったが、文章がやさしくてとても読みやすかった。理解に躓くところが全然なかったね。村上春樹とは違ったやさしさ。まるっこい感じ。村上春樹の清潔な読みやすさとは違う。俺もこういう、文章における自身の色みたいなもんが欲しいところだぜ。